2009年1月17日

ネバーランド

ネバーランド [DVD] 「Finding Neverland」 (2004年 英・米)
監督:マーク・フォスター
出演:ジョニーデップ(バリ)ケイト・ウィンスレッド(シルビア)
    ラダ・ミッチェル(メアリー)ジュリー・クリスティ(Mrs.モーリエ)
なんといってもピーターパンは好きで、映画も見たアニメも見た。だからこれも見た。

*

1903年のロンドン、自作の上演が不評で悩んでいたバリは、公園でシルビアと4人の子供達に出会う。
無邪気な子供達の中で、三男のピーターだけは父が亡くなったショックからか遊びの輪から一人離れて、バリの座っているベンチの下に入り空想の中にいた。
バリはピーターとなぜか心が通うのを感じ、この一家と親しくなっていく。
バリの妻のメアリーは裕福で高名な夫と暮らしていることに満足してきたのだが、最近の作品があまり評判がよくないことに不満を持っていて、
シルビアと子供達に夫が近づいていくのにも嫉妬し、世間体も気になっていた。
しかしシルビアの義母(モーリエ夫人)が社交界では名のある家柄であったので、夕食に招待をしたりするが、
夫やシルビアは世間に対しては一向に関心がなく、モーリエ夫人の苦言も効き目がない。
バリは生活の苦しい一家を山荘に招待して、子供達と楽しい時間を過ごし、そこで新しい作品のヒントを得る。
バリの子供心はピーターや子供達と過ごす時間の中で共鳴し膨らんでいき、それは新しい作品を徐々に完成させていった。
そしてそれが「ピーターパン」と名づけられ上演された時、観客はその空想の世界、ネバーランドに大きな拍手を送り大成功を収める。
その頃シルビアは重病でもうあまり長く生きられないと知っていた。
バリは劇場に出かけることも出来なくなったシルビアの自宅で、舞台を作り「ピーターパン」を見せる。
シルビアは子供達の将来をバリに託し、バリは子供の後見人になることを引き受ける。

* * *

感受性の強いピーターが空想の中でたちなおってバリに親しんでいく。
人によれば忘れてしまうけれど、いつまでも懐かしい思い出として持ち続けている子供の世界が、
バリと子供達、世俗に汚されない母親の生き方など、単純な図式で映像化され、
ストーリーも分かりやすい。
額に皺を寄せたジョニーデップが作品が出来ずに悩む姿も何か夢の世界にいる思いで現実感がない。
あまり考えず「ピーターパン」という子供とティンカーベルを連れてネバーランドに行きたいと思えば、
これを書いたバリの心の一部が温かく感じとれるかもしれない。
ちょっと感動するいいお話だった。

ニューオーリンズ・トライアル 陪審評決

ニューオーリンズ・トライアル/陪審評決 プレミアム・エディション [DVD] 「Runaway Jury」 (2003年 米)
監督  ゲイリー・フレダー
原作  ジョン・グリシャム
出演  ジョン・キューザック(ニコラス・イースター) 
     ジーン・ハックマン(ランキン・フィッチ)
     ダスティン・ホフマン(ウェンデル・ロア) レイチェル・ワイズ(マーリー)
日本でも検討されている陪審員制度、アメリカではその後ろには陪審員コンサルタントという人達がいるそうだ。
被告側のコンサルタントのジーン・ハックマンと原告側弁護士のダスティン・ホフマン
それに陪審員のジョン・キューザック、その恋人らしいレイチェル・ワイズなど、豪華な顔ぶれが登場する。

*

リストラされたのを恨んだ犯人が、元の勤務先で銃を乱射し、弾に当たって夫が死亡、
未亡人はそれを 銃器の製造会社の責任として告訴する。
銃さえなければこんな事件は起きない。
製造するということは殺人をも肯定することになるということなのだが、会社としては使い方にまで責任は持てない、無謀な言いがかりと見る。
そうして陪審員が選任され、裁判が始まる。
銃器会社は勝つために陪審員コンサルタントを雇う。
此れがランキン(ジーン・ハックマン)の率いるチームで、ハイテク機器を駆使して陪審員のチェックをし、弱みを握って見方に引き込むのが目的である。
一方原告側の婦人には弁護士のロア(ダスティン・ホフマン)が付く。
彼は冴えない弁護士ではあるが、自然体で人間の良心を信じているらしい。
一方陪審員に選任されたニック( ニコラス=ジョン・キューザック)は
生活意識の希薄な電気店の店員で陪審員に選ばれたことが迷惑だといっている。
だが陪審員の中で目立たないはずが次第に信頼されるようになってくる。
裁判が始まり傍聴していたマーリー(レイチェル・ワイズ)も活動を始める。
彼女はランキンとロアに近づき、金で陪審員を見方につけることが出来るという。
1億ドルで陪審員の弱みを売るということだ。
電気店に勤めるニックはコンピューターのデーターをフロッピーに入れて床の下に隠してある。
フイッチの部下がそれを盗んでいく。マーリーはすでにそのことを知っていた。
二人の関係に不信を持ったフイッチはニックの過去を洗おうとする。
次第にニックの本当の顔が現れて、不気味な方向に話が進んでいく。
一方マーリーはロアにも陪審員操作の情報を買わないかと持ちかける
ロアは気の毒な被害者の婦人と子供が勝訴するためにはその情報が欲しい、
フイッチとの遺恨もあり勝ちたい思いで、ふとその提案を受け入れそうになる。

* * *

フイッチ側の攻め方の手口、ロアの葛藤、ニックとマーリーの関係、
話はさまざまな方向に揺れながら終結に向う。
ストーリーの流れは滞ることなく、一気に見ることが出来る。
銃の所持が護身のためと見るアメリカ社会の今も
それによって犠牲になった若い夫婦の怒りも分かる気がする。
この映画はその矛盾とともに、陪審員制度やそこに存在するコンサルタントというものが興味深い。
ジョン・グリシャムの原作だけに厭きさせない娯楽性は十分で、楽しめる。
よくできた映画だった。

2009年1月16日

21g

21グラム [DVD] 「21g」 (2003年 米)
監督 アレハンドロ・ゴンザレス・イニャリトゥ
脚本 ギジェルモ・アリアガ
製作総指揮 テッドホープ
撮影 ロドリゴ・プリエト
出演 ショーン・ペン(ポール) ナオミ・ワッツ(クリスティーナ) 
   ベニチオ・デル・トロ(ジヤック)シャルロット・ゲンズプール(メアリー)
人が死ぬと21gだけ軽くなるというそれは何の重さなのか。
「ハチドリの重さ・・100円ライターの重さ・・キヤラメル3個の重さ・・5セント硬貨5枚の重さ・・
一握りの貝殻の重さ・・ポケットティッシュの重さ・・ジェリービーンズ26粒の重さ・・
クリップ44個の重さ・・空になったマニキュア瓶の重さ・・。」
と死を前にしたポールが呟く。
全く生活階層の違う三人の人たちがどんな風に知り合いそれぞれの人生がどんな風に交差していったか。

「21gとは」ベッドに横たわってチューブにつながれているポールの呟き。
ポールは移植以外助かる方法の無い重い心臓病でドナーを待っている。
ポールは数学教授。そこに事故の知らせがあって脳死状態にある人から心臓が提供されるというニュースがくる。
クリスティーナは優しい夫と二人の娘を持つ幸せな主婦だった、過去のドラッグ中毒からも立ち直っている。
娘たちと出かけた夫からすぐ帰ると携帯電話にメッセージが入り背後に娘たちがはしゃぐ声がする。その後すぐに三人はトラックにはねられた。
クリスティーナは録音された声を何度も繰り返し聞いている。
失ったものを埋めるためにまたドラッグを始めるようにもなる。
事故後、夫の心臓を移植されたというポールが現れたが怒りと悲しみに襲われ、ポールを認めることが出来ない。
前科のあるジャックはくじで当たったトラックも神の思し召しと思い、
立ち直るために宗教にすがって、それにのめり込んでいる。
妻と二人の娘を養うために必死で働いていて交通事故を起こす。
ポールはドナーの名前をどうしても知りたくなり、調査員を雇ってクリスティーナに行き着く。クリスティーナを見続ける日々が続き次第に心を惹かれていく。
ポールの結婚生活はすでに破綻している。
別居中の妻が過去に妊娠中絶をしたことで二人は深く傷ついている、しかし妻のメアリーは未来の無い夫であっても彼 の子供を得ることを熱望して協力を求めている。
ポールは次第に移植による拒否反応に悩まされるようになる。
ジャックは事故の後、一旦は逃げたのだが妻の懇願も無視して、自己の宗教心から警察に名乗り出る。
しかし事故の痕跡は生活を思う妻が消してしまっており、トラックも売り捌いていて証拠不十分で帰ってくる。
いつか心の通いあったポールにクリスティーナは「ジャックが殺したいほど憎い」と言い、共感したポールはジャックを探す。
ポールとジャックが出会った時からジャックの宗教心とポールの人間的な苦しみがより深まる、クリスティーナの憎悪の行く先は三人の真に生きることに対する深い悲しみとともに幕を閉じる。
冒頭からばらばら細切れになったシーンが続く、それぞれのシーンで俳優たちがそれぞれの人物をありのままに深く印象付ける。カメラは手持ち撮影が多く現実感の深い映像になっている。
楽しみのために見る映像では俳優は美しく輝いているが、この映画では生のままで飾らない、そんなリアルな存在でストーリーの中に生きていて感動する。
ショーンペンは冷静で、鋭く暖かくそして優しい、ナオミ・ワッツは美しく脆く悲しい。存在感のあるジャックを演じるベニチオ・デル・トロは(ちょっと古谷一行の目を大きくした感じに似ている)、野生的で無口で強く一途である。
時間を無視した実験的な映画ではあるがそれが破綻無く最後に収まり納得が行く。
いい映画を観た。後に尾を引く。日常の悲しさと生きていくことのつらさや悲しみ、死に直面した人のあり方が重い。