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中家住宅 JR法隆寺駅〜徒歩 中家(約6km) 大和川北岸に残る大和で典型的な環濠屋敷で、二重の濠に囲まれ外濠の内側は竹薮となり、内濠が鉤の手に屋敷を取り巻く、南側の外濠は消滅したが中世土豪の平城式居館の姿をよく伝えている。中氏は元足立氏と称し現三重県鈴鹿市の土豪と伝えられ、足利尊氏に従って大和に入り窪田の姓を名乗ってこの地に居館を定めた。後明徳2年(1391)中氏と改め、岡崎・窪田・笠目の土地を拝領し筒井一族の武士として活躍し、興福寺一乗院領・窪田庄名主職にあり、多くの良田を有した。筒井氏の伊賀国替えに同行せず、窪田に残り、その後万治2年(1659)武士から大地主となり、帰農し現在に至っている。 石田氏は中氏の一族であり、その西側内濠と外濠の間に中家の持仏堂・本堂・聖天堂・持仏堂庫裏が現存している。 中家住宅は、環濠に面した表門と主屋・新座敷の他、米蔵・新蔵・乾蔵・米蔵及び牛小屋・持仏堂・持仏堂庫裏・宅地・竹薮及び溜池(濠)が国指定重要文化財になっており、武家造りと農家造りを兼ねた建物である。 主家は万治2年(1659)頃と推定され、また新座敷は勅使の間と呼ばれて茶室を備え安永2年(1773)の棟札があり、ともに国指定の重文である。 (奈良市の地名書より引用) 富本憲吉記念館 JR法隆寺駅〜バス 東安堵〜徒歩3分 気品ある模様と器形の追求を通し、清純にして華麗なる独自の作陶世界をつくりあげた富本憲吉。伝統に立脚しながらも技術偏重に泥むことなく、たえず新鮮な感覚で<芸術>としての陶芸をおしすすめた彼の名とその功績は近代陶芸の第一人者として、また陶芸史上に光り輝く不滅の金字塔として後世に語り継がれています。 そんな富本の想像の所産は、生れ故郷である大和の美しい自然であったといわれます。代表的モチーフである「竹林月夜」「曲る道」「老樹」「大和川急雨」をはじめ、みずみずしい草花模様などの基本パターンは、澄みきった大和の清らかな自然から生み出されたものにほかならず、現在も陶器の図表のなかに息づいています。 この記念館は、四方に堀をめぐらし、包みに羊歯の生い茂る数百年の歴史ある富本の生家を修復して、新たに収蔵庫や図書資料室を加えた収蔵・展観施設で、彼の半世紀にわたる珠玉の作品をおさめています。 富本憲吉記念館 館長 辻本勇 (案内パンフレットより引用) |
![]() 中庭1 ![]() 中庭2 ![]() 中庭3 ![]() なぎ(梛) ![]() 貝合わせの貝1 ![]() 貝合わせの貝2 ![]() 釘隠し |