長い長い吊橋。うひひ 今回は渡らず去る。あまりに高すぎ、その上揺れていて怖かった。
正面から見るとこんな感じ | 吊橋を両端で支えている柱 |
入り口。左に座っているのは吊橋の監視員さん。色々声をかけて励ましてくれる。渡らないとちと恥ずかしい気がしたが、やっぱりやめる。 足場は板4枚分のなんとか2人すれ違える広さ。足元の板は体重でちょっとしなる。両端からは下が見えるが、細かい金網で両側面と足場の両端は覆われていて安全。結構年配の方がさっさと渡ってまた帰ってきていた。 ここは通学路になっていて、地元の人は原付で渡ったりするっていうのは有名。 | こちら側と向こう側にひとつづつある柱。写真に収めきれない程大きさと高さ。どっしり構えている感じ。 |
吊橋の下の川原 | 入り口横の看板 |
入り口の横の柵から見た下の川原。本当に広かった。下では何かの工事中。横には家が建っている。その向こうには道路が通っていて、これが向こう側に続く道路らしい。 | 「無料休憩所」の横に「橋を渡ってすぐ」と小さく書かれている。 この吊橋を渡らないと行くことができないのかと思っていたら、そうではないらしく、向こう側にもちゃんと道路が通っているそうな。 |
ずっとじっと橋を監視 | 吊橋の紹介の看板 |
「なんも怖いことあれへんがな!」などと、気さくに来た人に声をかけてくれる。そんなおじさんはベビーカーを押してきた人を見ると、普段は通れないように写真手前にかけてあるロープを解いて通してあげたりと親切だった。 右側にある木の部屋にはもう一人監視員さんがいる様子。奥の看板には橋の上は禁煙とか走っては駄目との注意書きがある。看板の奥はお店になっていて、上に見えるガラスのところでは食事しながら橋が見えるようになっている。 | 吊橋が作られた理由や細かい説明、川原の広さの理由、吊橋ができるまでどうしていたか等が紹介されていた。 |
谷瀬の吊橋
この吊橋は昭和29年800余万円を投じて架設したもので、
長さ297.7m 川からの高さ54m 歩道専用の吊橋としては日本一といわれています。
付近の川原が水量の割合に広いのは、明治22年の大水害まで
集落や耕地があったところだからで、村内にはこうしたところがかなりある。
当時の被災者達は新天地を北海道に求めて移住した。
それが今日の新十津川村である。
谷瀬の人々はこの橋ができるまで川に丸太橋を架けて行き来していたが、
洪水のたびに流されるので1戸当たり20万円という、
当時としては思い切った出費に耐え 村の協力を得て完成をみたのである。<上↑の吊橋前にあった看板より>