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「アメージング・グレース」物語―ゴスペルに秘められた元奴隷商人の自伝

アメージンググレース 読書

アメージング・グレース」 ジョン・ニュートン著 中澤幸夫訳

「アメージング・グレース」という哀調を帯びた美しい歌は誰がどこで作ったのか。賛美歌集の中にあって、貧しく、中には文字が読めない人々のために、神を賛美し信仰に導き聖書を深く理解するために作られたという。

第一部は「アメージング・グレース」がどうしてできたか

作詞者のニュートンは赴任先のオウルニィーの教会で聖書の言葉を詞にして説教に使った。わかりやすく創世記から順に讃美歌にして聖書を易しく解説したものを作った。
その中で「アメージング・グレース」は41番目に出てくる。
冒頭の
Amazing grace!(Hou sweet the sound)
That saved a wretch like me!
I once was lost , but now am found,
Was blind, but now I see.

アメージング・グレース、(なんと甘美なる響き)
道ならぬ私を救ってくださった。
かつて迷えし者が、今見出され、
闇をいで光の中にいる

一説目の冒頭が印象的だったのか本来の題名を離れて人々に伝わった。
「アメージング・グレース」
アメージングは「驚くべき」グレースは「恵み」 という意味が正しいのだが、グレースさんというような人名だと思われていることも多いそうだ。

私は友人が参加しているゴスペルソングの会で聞いたとき、この曲はゴスペルだったのかと改めて知りました。

初めはメロディーも一定したものがなくて、人や場所によって10を超えるメロディーで歌われていたのが、現在のメロディーに定着した過程にも諸説があるようです。

アメリカの賛美歌集に収められて今のメロディーになったとする説に定着しているが、イギリスからアメリカに渡った黒人たちが、故郷を思い出させるような歌詞とメロディーを愛し、今では多くの人に愛される曲になっている。

ベトナム戦争後の反戦フォークソングが多く歌われていた頃、ジョーン・バエズのグループにいたジュディ・コリンズが礼拝堂で歌ったのを聞いて、音響の素晴らしさに感動したプロデューサーがCDに入れるように勧め、その歌声を聞いた多くの人からより広く知られるようになった。この歌を広めた歌い手にはゴスペル歌手のマリオン・ウイリアムズもいます。
こうしてニュートンが作った「アメージング・グレース」は素晴らしい歌詞とメロディーを得ました。

現在「アメージング・グレース」は様々なものを表す象徴、すなわちイコンになっているようで。神の恵みや困難の克服、そして自由や人権ばかりでなく、死者を哀悼するイコンになった。

第二部 「物語」
この本の副題にもなっている、「ゴスペルに秘められた元奴隷商人の自伝」です。

賛美歌の「アメージング・グレース」が書かれたのはジョン・ニュートンが、オウルニィーの教会で牧師として精力的に布教活動をしていた時で、友人のクーパーとともに聖書を基にした賛美歌を作っていて「オウルニィーの賛美歌集」を発刊したのです。

この物語の元になっているのは、ニュートンがホーイス牧師に送った14通の手紙を了承を得て出版したもので、最初は匿名であったものが作者の名前が知られ広く知られるようになりました。

旧約聖書でイスラエルの民がモーゼに導かれ荒れ野を超える困難な旅の末にカナンの地にたどり着くという、彼の人生をなぞらえた話から始まっています。

父は船長で母は敬虔なクリスチャンでしたが7歳の時になくなり、父はすぐに再婚。寄宿舎に入ったのですがそこを飛びだし、父親と航海に出ます。
その後父の方針と合わず船を乗り換えて船員たちと放埓な生活を送ります。ついにアフリカ行きの船に乗った時、あまりの品行の悪さに置き去りにされるのです。
過酷な生活を幸いに生き延び奴隷売買の仲間になります。当時イギリスでは奴隷売買に罪の意識がなく貴族たちは最下層のカーストにいる奴隷などはどこで死んでも奴隷にすぎず、売買することに苦痛を感じていませんでした。

ニュートンは様々な本を読んで聖書も各国語で書かれたものを読み解くほどでした。
放埓な生活に明け暮れている航海中も、時々内省の心が訪れ聖書の章句が蘇ることがありました。

振り返ってみると奇妙なことに、命の危険にさらされた時に、間一髪で危機を逃れることがよくありました。
ニュートンは、平静に帰った時これは神の仕業ではないかと考えるようになり、ついに船を下り信仰の道に入る決心をします。一時、税関に勤めたのち牧師になるための勉強を始めました。、

一介の船員が牧師の職につくのは容易ではなかったようですが、応援してくれる知り合いや、推薦者を得て、38歳の時ついにオウルニーの教区牧師を任されました。
うつ病に苦しむ友人のクーパーとともに、聖書の理解を深める説教のために集会を開き、それに使うために賛美歌を作り始めました。
のちに「オウルニィーの賛美歌集」が出版され、ニュートンが280の歌詞、クーパーが68の歌詞を書いています。
65歳で最愛の妻を亡くし、およそ10年後ニュートンもまた耳も目も不自由になったのですがそれでも説教を続けました。
奴隷貿易廃止の法律が可決された翌年に82歳で亡くなりました。

アメージング・グレースはYoutubeで聞くことができ。アメリカの錚々たる歌手が歌っています。
表紙に少し譜面が写っていますが、コールユーブンゲンの始まりのような簡単な音符が並んでいます。
たがこういった一つ一つの音の集まりが、作曲者の才能で素晴らしいメロディーを作り出していることにいつも驚き、バッハの教会音楽などオルガンの響きが蘇ってきます。

荘厳なフルオーケストラの複雑なスコアを持った名曲も聞くのは好きですが、こうして簡単な音符の並びだけで心に深く染み入るようなメロディーが作り出されていることに感動します。

2006年に映画「アメージング・グレイス」が作られているのを知りました。本書でも少しだけ出てきますが。「アメージング・グレイス」誕生のはなしと奴隷貿易廃止運動に苦戦しつつ戦ったウイルバーフォースが主人公で友人役にカンバーバッチも出演しているようです。
本書では、幼いウイルバーフォースに出会ったニュートンが彼の神童ぶりに将来を予言したと書かれています。上流階級出身でケンブリッジ大学卒の神童は当時もてはやされていましたが、世間に流されることなく信念を貫いた彼の生き方が映画化されたようで、いつか見てみたいと思いました。

聖書やそれにまつわる物語もよく知らないのですが、感動的な物語でした。#彩流社祭りに感謝します。


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