逃れられなかった事件の背景も刹那的に見える主人公ボブの心理が、単に救われない鬱屈したものだけでないことが、物語を深いものにしている。
海外作家のミステリは好きだといっても作家もそんなに多く読んではいないけれど、デニス・ルヘインは初期のパトリック・アンジーシリーズも一冊だけ読んだが面白かった。
ただボストンの歴史にふれた重厚なコグリン・シリーズからは、以後出版されると見つけて読みたいと気をつけている。
ドロップという題名も上手い。第一には主人公が務めるバーがギャングの賭博場になっていて、集まった掛け金の中継地であること、主人公のボブが社会的な人道枠から外れること、また過去の出来事から解放されること。雫の変化のように心理的な転換を自覚すること。
読み返してみると、巧妙なルヘインの筆致がただ物語を紡ぐだけではないことが判る。
何気なくにじむ心理描写も、はみ出し者の教育のない数少ない言葉を掬い上げる繊細な文章がますます巧妙に冴えている、少し抒情的にウエットな後味が残るのも、荒れた生活に漂っているボブの悲しみのようなものが感じられ印象的。
映画と異なる文字の世界を活写されるところは、比べることはできないが映像に負けない。(と思う)
裏表紙で、“巨匠”と紹介されている。初めて見たが、S・キングが新進のホラー作家、ミステリ作家だったころ、“頭の悪そうな女が喫茶店でキングのペーパーバックを読んでいる”というような文章を読んで(どこの何に載っていたのか忘れたけれど)その頃「恐怖の四季」や「グリーンマイル」を読んでいたのでこの筆者はホラーやミステリというジャンルに偏見を持っているのではないかと思った。キングも作品の多くが既に映画化もされてヒットし、みるみるうちに大作家、巨匠になったように、デニス・ルヘインもこうして成長していったのかと感慨深かった。
ボブはマフィアが支配するバーで従兄のマーヴと働いていた。バーではあるが実態は故買屋で、賭け屋だった。
バーテンダーのボブは温厚で礼儀正しく、内向的で、バーに来る飲んだくれの常連や賭けに興じる男たちには、気配がない影のように見えていた。
自分でもそういうものだと思っていた、日曜には必ず教会で礼拝し、神父の説教を聞く。同じミサでいつも出会う刑事のトーレスは彼が聖体拝受をかたくなに避けているのを不思議に思っていた。ボブは若いころいろいろやったが、今の生活で、時に深い孤独感に陥るようになった。敬虔な父親から授かった知識で礼拝は欠かさないようにしていた。
ボブがゴミ箱から子犬を拾い、それを見たナディアに一時預かってもらった。知り合いができそれも若い女性だったことでどことなく幸せな感じがした。
犬を介してナディアと散歩することも増えた。
だがナディアにも秘密があり、付きまとっている精神的に病んだ男がボブに絡んでくる。
店に掛け金を狙う強盗が入った。それを知ったマフィアのボスは盗まれた5千ドルを返せといった。強盗の一人は止まった腕時計をしていたとトーレスに話した。
血に染まった5千ドル紙幣と腕時計が嵌った片腕が送られてきた。
ボブは巧妙に腕を処分し、金は洗ってマフィアに返す。徐々にボブが隠していた影の部分が滲み出す。
そして大量の掛け金が動くスーパーボール・サンディの日、マーヴは掛け金を盗んで海外に逃亡しようと計画した。
その日ボブはバーを任され、派遣された手伝いとともに閉店までマフィアの集金人に掛け金を支払い続けた。
彼にはそうする理由があった。
終盤、小気味よいいい形で盛り上がり終息する。