痛みを引きずりながら今も暮らしている。
新聞社から小さい記事を頼まれ書くことで細々と生活をしている。
いつも行くバーで、退職警官から20年前から未解決になっている、キャサリン・カーという女性が失踪した事件の話を聞く。未だ犯人も明らかでなく、殆ど手がかりがない。
失踪人に興味を覚えて聞いてみると、彼女の友人のところに彼女が書いて預けていた小説と詩が少し残っているという。
友人は余り協力的ではなかったが、始めの部分から少しずつコピーして見せてくれることになった。
彼の記事は、街の人物や出来事を取り上げ、楽天的な軽い表現で書くことだった。それは傷を抱えた彼への編集長の思いやりだった。
次はバーで話に出た、早老症で入院している12歳の少女を書く予定だった。病院に取材かたがた見舞いに行くと、彼女は老人に見間違うような風貌ではあったが、パソコンを駆使してミステリ小説を解き明かすのが趣味だった。
実に聡明で、キャサリン・カーに深い興味を持った。
二人でコピーを読んで事件の顛末を考える。それは彼女に活力を与えた。
小説は少しずつ渡されるので、考える時間は十分有った。だが読んでいくと、 小説は幻想的でどこまでが彼女の出来事なのか事実を探すのは難しかった。
二人は、その中から見つけた現実的な出来事を探し、事件と照らし合わせて繋いでいく。
徐々に小説が結末に近づいていく。
早老症のアリスも日々衰えて、死期が迫ってくる。
登場人物の不幸に加えて、事件の不透明感が読んでいても暗い。
作家は、かつて殺人があった現場を訪ね、好奇心を満たすために、曰くがある土地なども歩いて様々な経験をした。その話がこれまた残虐で恐ろしい。
話の中に小説が入る入れ子構造で、小説の中でキャサリンが主人公になってはいるが、幻想的な作風なのか事実に基づいたものなのか、遠い過去の出来事は雲を掴むようで、渡されたコピーを読んでも展開が分からない。
過去に暴行され傷つけられたことで、大きな心境の変化が有ったらしいことが伺える。
小説の中では、現実か架空のものか分からない登場人物が動いているが、何かを暗示しているのだろうか。彼女は今生きているのか、殺されたのか、手がかりになる記述が無い。
読んでいて、これはなんなのだ、と思った。
小説の中に具体的な記述がなければ、失踪か殺人か、二人がいくら考えても事件の上を滑っていくだけだ。
作家も、息子を誘拐され殺されたときに自分がいなかったという後悔にさいなまれているのはよく分かる。少女に対する思いも。
ついにホスピスに移された少女が残りのかすかな命をかけて、キャサリンを読み解くシーンは、未だ生きていけるものと、死を悟ったものの解釈の違いに胸が痛む。不幸な少女を道連れに選んだことが輪を掛けて救いようがない。最後の部分であるいはこうなって解決なのかという気を持たせたシーンはあるが。
しかしどう繕っても、この作品は難解というより混沌で、残虐ではっきり言えば悪趣味で、解決の部分も、きっとどう終わらせるのか迷ったのではないか、スッペ「軽騎兵」序曲のちょっと長い終章部分を思い出してしまった。小説が結末に来ているのに、明らかになって落ち着く部分がない。なので、どうなりと後はお好きな形でお任せします。といわれているようだ。
キャサリンの小説とはいい思い付きだが、それを読んでも何の手がかりも得られそうにない内容で、こういう思わせぶりなストーリーをなぜ作ったのだろう。
クックの回想形式の秀作はほとんどが不幸な出来事に行き着いていく。
今回は救いのある結末を用意したのだろうか。ここからの人名シリーズは新しいスタイルに向かうのだろうか。
ミステリについての常套手段に依らないという文中にある言葉は、未だ解決しない迷いがあり、新しい分野への挑戦かもしれないが、この作品は常に負の心を表す比喩も含め、全く暗すぎる。
少しずつ渡されるという小説のコピーにしても、世界の犯罪者の羅列にしても、奇病に苦しむ少女にしても、自然に読めるような流れにならず、ありありと作りものめいて、常に自分の読解力の不足ではないかと思うようだった。
次の作品はどうなっているのだろう。