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コナン・ドイル



ジュリアンシモンズ

先に読んだコナン・ドイルの作者紹介があまり短くまとまりすぎて、褒めるにしても、何というか身も蓋もないので、読んでみた。

これではシャーロキアン(私はミーハーで主にBBC制作のカンバ―バッチ・シャーロックのファンでしたが)は少し物足りないでしょう。生みの親のコナン・ドイルについても世界にいるというシャーロキアンならとっくにご存じでしょうが、頼まれもしないのにこの本を読んでみた。ホームズというのも、ドラマのタイトル(SHERLOCK)に漬かりすぎて、ホームズとは呼びにくい。180ページほどで写真も多く、好感が持てる面白い本だった。説明されると、コナン・ドイルという人を「善良な巨人」と呼んだというフランスのジャーナリストの言葉に納得した。
コナン・ドイルってどんな人?
本名サー・アーサー・イグナティウス・コナン・ドイルというのでね、と知ったかぶりができる。
でもWikipediaでも相当詳しいのを発見した。

コナン・ドイルの自伝や評伝もたくさん見つかったが、推理作家でポーの伝記も書いているというジュリアン・シモンズの本を選んだのがよかった、これは訳者もお勧めで、闊達で簡潔で伝記と作品の評論を合わせて読むことができるそうで、写真も多く作品評はわかりやすかった。

コナン・ドイルという人はお父さんが酒好きで苦労したようですが、お母さんは愛情深く厳しく、学問にも日常生活もきっちり子供たちを教育しました。お母さん好きのコナン・ドイルはどこにいても近況を手紙に書いて、生活費のやりくりを助け、その手紙の写真が載っている。

成績もよくお母さんの希望だったのですが、それに応えるように在学中なのに金を稼ごうと捕鯨船の船医になった。これで彼のロマンティックな気持ちは大いに満足したのですが、尊敬する母(マーム)に稼いできた50ポンドの金貨を渡すのに服のあちこちに隠して楽しませた。船旅で見た外国の風景が気に入って、次に寒い所から今度は熱い国に憧れたのかアフリカ海岸に向かう貨客船に乗った。そこで病気になり(たぶんマラリア)『死神と死闘を演じ』たと書いている。航海から戻って学校も無事卒業して開業することになった。

彼は大柄でスポーツマンだった。今でいう体育会系、思い立ったら性急に一直線に進む気性で、ラグビー仲間に共同経営で医院をどうかと誘われて乗った。患者は多くて順調だった。

だがこの友人は変わった治療法と薬の濫用で利益はほとんど薬代、おまけに趣味の発明癖があった。
マームからの手紙に「彼はいかがわしい山師に思える」と書いてあった。その手紙が盗み読みされていたと知り、別れて開業したが約束の経済援助もなく窮地に陥った。
マームの援助もあってまた新たに開業したが思わしくなく、短編でわずかに稼いだこともあり、今度は長編を書こうとした。だがまだ名もない身で断られ続け、8年後にやっと「ガールストーン会社」が刊行された。次に「緋色の研究」が25ポンドで売れた。
これまで8年間短編を書き続けていたが本人は歴史小説が書きたかった。評判が良かったので二冊目のシャーロック・ホームズもので「四人の署名」を書いた。この支払いで何とか息を継いだ。
書きたかった長編歴史小説「ホワイトカンパニー」は最高の自信作に仕上がった。書き上げた時は「やったぞ」と叫んだそうでそれでも本業は医者で、まだドイルにとって小説は副業だった。だが弟のヤニスを寄宿させて育てていて生活は楽ではなかった。
弟と二人きりの生活は短く、最初の妻と結婚した。

コナン・ドイルは新しいことに挑戦するタイプで、それも熟慮してということはなく軽々と決断する癖があった。ドイツの新しい結核の治療法が見つかったと知ると妻を連れてドイツまで行った。ドイツで切りあった医師の勧めで進んだ知識を取り入れるためウィーンに向かったが、ドイツ語に躓いて帰国する。
新しい医院には相変わらず患者が来ず、重い風邪を引いたこともあってこの時文筆一本にかけることを決心した。

次第に名前を知られるようになりアメリカで歓迎されたが、妻が結核に侵され長い介護生活に入る。この頃のストレスをさけるため書斎と外の生活に逃げた。

飾り気がなく、外交的で親しみやすい人だったが、自分が好きで直情径行、スポーツマンで愛国者だった。

ロードレースにも参加した。

わくわくするような出来事に出来るだけ近づきたいという本能こそ、一生を通じてしばしばそうであったように、彼を衝き動かしている最も大きなものだったろう

と、シモンズは述べている。
ボーア戦争で前線に出たり、捕虜収容所を訪れ、自由人の気概を読み取り親近感を持ったりしたが、彼はこの戦争での体験すべてに強烈な反応を示した。この熱中癖は彼の持って生まれた性癖の中で最も魅力的な一面だった。

また 初期の読者を何よりも驚嘆させ、喜ばせたのは、ホームズの推理法であった。つまり、一目見てある人物の職業を言いあてたり、ときには、ワトスンの視線の方向と表情の変化とから、その心のうちを読みとりさえするそのやりかたである。

あけっぴろげで、親しみやすく、情にもろく喧嘩っ早い、コナン・ドイルという人が、一癖も二癖もあり嫌味なところもあるシャーロックを書いて名を高めたが、実は短編も含めて、好きな歴史小説が書きたかった。SFや伝記や詩も戯曲も書いているがあまり知られていないそうだ。
ただ晩年は心霊現象の研究に打ち込んだ。妖精がいると信じていた。

婦人参政権には憤懣をもって、女は家に入るべしだと思っていたそうだ。
彼が力を入れた作品の多くは過去のものになったが、シャーロック・ホームズは今でも読み続けられている。でも短編集を含めて9冊しかない。

1930年心不全で亡くなった。71歳。

簡単なメモ仕様なので、読んでいただいてもあまり役立たないと思います。知っている人は知っている、知らない私はそれなりに(古)、書いてみました。


お気に入り度:★★★★☆
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