14歳で世渡りか、シリーズなら他にもあるのかな、「行く手を照らす」か、ぴったり来るような気持ちは考えてみれば、この(どの)年になってしまうと悲喜こもごもかなぁ。
奥泉さんの書き下ろしというので喜んで開いてみた。漱石好き、漱石狂の様子も見えるが、やや距離がある視野から書いている。照らさないといけないからか。
漱石を少しは読んだつもり。残りもそのうちと思って積んであるが、漱石がそんなに面白いなら読み方を習おう。
すぐ読むのではなくて申し訳ないけれど。
漱石の面倒な読み方ではなく、小説の世界はどう楽しむのか。
それは文章を楽しむこと、飛ばし読みでもいい、小説を面白くするのは自分自身だからという。
繰り返し読むことなども勧めた肩のこらない案内書で、なんとなく知っていた漱石の世界が親しく見え始める。奥泉さんの読み方を習って、漱石本と併読していきたくなった。
「はじめに」 に続く「目次」
第1章 「我輩は猫である」 小説は全部読まなくてもいいのである
漱石作品の中でもとくに細部が面白い。
第2章 「草枕」 小説はアートだと思うといいよ。
漱石がこんな風に語っている。
私の「草枕」は、この世間普通に言う小説とは全く反対の意味で書いたのである。ただ一種の感じ、美しい感じが読者の頭に残りさえすればよい。それ以外に何も特別な目的があるのではない。さればこそ、プロットもなければ、事件の発展もない。
第3章 「夢十夜」 「夢十一夜」を書いてみよう
もし夢の話が面白いとすれば、それはセンスのよさのなせる業。
百閒の「冥途」はまさに夢の話。「ただなんとなく」とか「ぼんやりして解らない」とか「はっきりしない」とかいうフレーズがたくさん出てきて、夢の中特有の辻褄の合わない感じを表現しているのがおもしろい。 百閒と漱石とはまた違った形で夢の世界を描いている。
第4章 「坊ちゃん」 先入観を捨てて読んでみたら
威勢がいいのは、坊ちゃんではなくて文体にある。坊ちゃんはちょっとコミュ障で神経質。そして孤独。
「孤独」というのは漱石の小説全体のテーマだ。
第5章 「三四郎」 脇役に注意するといいかも
美禰子は都会派で三四郎は田舎出。そのギャップを読む。「迷える羊(ストレイシープ)という言葉は、解ったようでもある。また解らないようでもある。解る解らないはこの言葉に意味よりも、むしろこの言葉を使った女の意味である」
第6章 ”短編集” 作者の実験精神を探ってみよう
第7章 「こころ」 傑作だなんて思わなくてもいい
自分自身を苦しめ自縄自縛に陥っていく先生の姿がとても残酷にえがかれている。
第8章 「思い出す事など」 「物語」を脇に置こう
第9章 「それから」 イメージと戯れよう
第10章 「明暗」小説は未完でもいいのだ
明暗には未完であることを越えた、小説としての高い完成度がある。
コラム1 漱石とお菓子 ―― 漱石はだいの甘党だった!?
コラム2 漱石と動物 ―― 漱石は犬派だった!?
とこういう具合に奥泉流漱石の読み方を指南している。
悩む漱石をこうして軽く読んでいくのも一興かな。
漱石好きなのか奥泉好きなのか、本を手にしてこれでいいのだと感じるところが、読書好きの端くれというのを実感した。