サイトをSSL化しました。セキュリティアップ!

掏摸(スリ)



中村文則

何かに優れていたり、異常になにかにとり憑かれた暗い世界の人も書くという作家なのかと思い、こういう世界もあるだろうという感想だった。

恵まれない孤独な境遇の青年が、スリで生活している。
スリの手際もよく才能があり、効率のいい裕福そうな人を狙って、生き延びている。

底辺の法外の生活者なので、縛られる何物も持たない。ただ一時関係があった人妻が別かれた後、自殺してしまったというチクリとした過去がある。
子供の頃、同級生が見せびらかしていた外国製の時計をすろうとして失敗した苦い思い出もあった、いまでは天性の勘と器用さで天才的な技とプライドを身につけている。

一時詐欺組織にいた男と組んだときは、彼のスリの技は見事に鮮やかで、究極の美のように目に移った。掏摸の技を使えば美しい人生もあると感じる。

一人の男に仕事を依頼される。それは依頼というより、命がけの仕事だった。
得体の知れない闇の中から出てきたような男は頭が切れ部下も多く、危険な仕事を楽しんでいるようだった。

彼は、子供の人生を設計どおりに操った貴族の話をする。その中で、傲慢で冷酷な自分を神になぞらえ、恐怖や悪といった感情と表裏をなす善を見据えてこそ、死の恐怖を超えることが出来る、という、独自の悪の哲学のようなものを話して聞かせるが。何かありそうでもこの部分は単に彼の自己流の能弁をあらわすのに過ぎない。

仕事はまるで不可能なような三つの条件がついていた。失敗すれば知り合った子供とその母親の命がないという。
彼はその困難な仕事に挑んでいく。魅力的だった。生きる力になった。
リーダーでない限り、仕事はどんなにうまく行っても、駒の働きでしかないとわかっていた。
彼は駒の一人として、親子の命と、スリの腕に対する矜持と、わずかな生きる希望にして事に当たる。

悪には悪の世界がある。そう分かっていても、何か徹しきれないものがあり、彼は恐怖や迷いから逃れられない。

作者の苦心が現れた作品だったが。
一人で生きていけるスリという得意技が法律に縛られないほど優れていても、それは人でない世界に通じる孤独な世界であって、それに気づいていないことが彼の生き方だろう。それが側にあるそこはかとない不安感なのではないか。掏摸の名人に生まれてはいるが、どこか曖昧な芯がないようなところになんとなく気付いているのかもしれない。何が心の支えかと言えるのはそれぞれで難しいが。気づかなくても、人とのつながりとか、窮屈だと感じることもある些細なあれこれとか。


お気に入り度:★★★★☆
掲載日: