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偶然の音楽



ポールオースター

ナッシュが壊れた家庭から飛び出した時は自由だった。遺産の残りで買った赤いサーフで広い大地を縦横に走るのは爽快だった。
拾った相棒はギャンブラーだった。そこからまた世界が新しく始まった。

主人公ナッシュは、大学を中退して転々と職を変え、ひょんなことで消防士の試験に受かり、それからは地道に務めていた。
二歳の時父は家を出て、いなかった、現在は母親と妻と娘の四人家族だった。しかし母が脳卒中で倒れホームに預けてからは入院費用のために生活は逼迫し、妻は子供を置いて出て行ってしまった。
突然訪ねてきた弁護士から父親の遺産20万ドルを受け継ぐことを知らされる。父の死よりも大金が転がり込んだことは晴天の霹靂、彼に無常の喜びをもたらした。
入院費の滞りは払った。娘は仕事柄ナッシュにはなついていなかったので、堅実で子煩悩な夫を持つ姉の元に預けた。
ナッシュは、残りの金で赤いサーブ900を買う。

彼は車に乗って目的も無く走りたかった。職場にある有給の残り三ヶ月分を消化すればこの気持ちも収まるかと思ったが、一旦帰ってみるとまだ虫は治まらず、とうとう引っ越すということにして退職する。

まだ銀行に残っていた6万ドルで、彼は今まで縛られていた様々なしがらみから開放され、フリーウェイに乗る。
窓外を流れていく異郷の景色、自分の体から自分が離れていくような自由な気分になれた。

好きな音楽を鳴らしながらアメリカ大陸を横断し、名所見物をし父親がいたというカリフォルニアにも行ってみた。
そして残りの金を数え、とうとうこういう生活も永遠には続かないことに気がつく、切り詰めてはみたがそんな習慣はとっくに無くなっていて、出発してから1年と2日、残りは1万4千ドルになっていた。絶望の一歩手前で、思い立ってニューヨークに向かった。

途中で若者を拾った。
「そのようにしてジャック・ポッツィはナッシュの人生に入ってきた」
少年のように小さく細身で、殴られた傷のせいで満足に歩けない、服は引きちぎられたようにぼろぼろの姿で、彼は助手席に倒れこんできた。
ジャックはカードを使ったギャンブラーだった、自分は腕がよくいつか無敵になりワールドカップにも出られると自信たっぷりだった。
生死の境をさまよう子供を助けたようで目が離せず、ナッシュは残りの金で何くれと世話を焼く。彼は自由と引き換えに、徐々に忍び寄ってきた孤独感に気づいていた。

ジャックのカードの腕を試してみると、ただのホラではない相当の実力があった。
当たった高額の宝籤から投資をはじめ今では富豪になり深い森にすむ二人からカードの招待を受けていた。資金は最低一万ドルはいるという。ナッシュはなけなしの残りをジャックに賭けてみることにした。どうせ相手は素人の成り上がり者で、いいカモになるだろう、ともはや二人の将来の夢はどこまでも膨らんでいった。

そして息詰まる攻防の末、ジャックはナッシュの起死回生の追加金まですってしまい、1万ドルの借金が出来る。

ゲーム中ナッシュはジャックの邪魔にならない位置で見守っていたつもりが、トイレに立ち、ついでに屋敷の中を歩いて住人の持ち物を盗んだ、それはジャックの命がけの気迫をそぎ、負けという運命に落とし込んでしまった出来事だったのだ。ジャックは酔った勢いでそのことに怒り狂っても、ナッシュは一向に理解できなかった。

生活資金まですっかり無くしたところに抜け目の無い二人から時給10ドルで、城を解体した石を運んで、塀を作ることを提案される。金が無くては出て行くことも出来ない。積んである石の山から一つずつ運んで長い塀を作っていく。

しかしこの仕事に慣れてくるとナッシュは徐々に心の底に平安を覚えるようになる。
一方こんな肉体労働など不満なジャックは、勝った相手の二人をいかさまだとののしり、自分はなぜ負けたのかと、憤怒の言葉を吐き散らし、ツキが逃げたのはナッシュのせいだとまで言った。
だが彼も金がなくては行き場も無い、金網で囲われた広い敷地の中の囚人のような待遇にいつしか慣れかけてきた。彼一流の処世術で、そのときはそういう風に自分をだましてしか生きることができなかったのだ。

見張りのマークスは一日中2人の脇で突っ立ったまま監視するのが仕事だった、雨のぬかるんだ日も雪の日も、ただ突っ立って時々あれこれと指図する、二人は無視することを覚えた。
そしてとうとう借金を返し終わった日、ジャックはお祭り騒ぎをする。ささやかな生活費は出来た。金網の下を掘り小柄なジャックなら外に逃げられるのではないか。
ナッシュも手伝い、出しはした、抜出しはしたが、穴の先にジャックの幸せな生活は無かった。

ナッシュのサーブは富豪の二人からマークスがもらっていた。一人残ったナッシュは少しずつマークスや息子や孫にも馴染んでいく。ついにそこからも開放される日が来たとき、かって自分物のであった赤いサーブを借り、運転をして町に出かける。

あらすじでも長いが、現代のストーリーテラーといわれるように面白い。
ナッシュという人物。しがらみから逃げて走り回った月日が終わった頃は、帰着する場所を失って、思いもしなかった孤独感を感じるようになる。自由を得たと思ったところが、やはりそれは帰属するものがどこかにあってこその自由であり、糸が切れてしまっては、自立していく強く新しい精神を一歩から育てなくてはならない。彼はその手段をジャックという青年の中に見つけようとした。少しの愛着と近親感は生きていけるだけの一時の心のよりどころではあった。

人をひきつける話術と巧みな生き方を見につけたジャックは、ナッシュに馴染んではいたがまだ若かった。ナッシュの誤算は、ジャックは天才でありナッシュは凡人であったことだろう。

ナッシュは環境の中から次第に穏やかな心境の芽を見つけていく。
だがジャックの運命はそうでなかった。
遺産が手にいる時期がもっと早かったらナッシュの生き方はもっと違ったものになっていただろうし、ジャックに関わることもなくそれぞれの人生を生きただろう。

いや、なんと言ってもポール・オースターという作家の掌のうちで感じ思うこと。
面白い話だった。

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