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海に住む少女



シュペルヴィエル

とても読みやすく薄い本だったが後々まで残る、悲しさと美しさとが書かれていた。

シュぺルヴィエルはウルグァイで生まれたが、1歳前に両親が相次いでなくなり、フランスの祖母に預けられる。その後ウルグアイにいた伯父夫婦にわが子のように育てられるが、また養父母と一緒にフランスに帰る。

何度もフランスとウルグァイを行き来して、彼の人となりは二つの国と帰る場所を持つことになった。
それを知ってみると解説にあるように、作品にいつもにじみ出てくる裏の顔に気づく。
美しい幻想的な風景の中に深い孤独が潜んでいるが、それはそのまま死後も浄化されることがなく続いていく。

死の後には安らぎではなくまだ意識がある命と宿ったままの魂が死後の世界の中でも孤独を引きずっている。
昨年読んだ、オースターが書く孤独は、孤独を抱えたまま人は消えてしまう。孤独に取りこまれた形で、孤独を抱えたままで消滅して後には何も残らない。

だがこのシュペルヴィエルが書く孤独は、死後も離れることがないものが多い。死んでからも行き場のない深い悲哀と人の心の底に潜む希望や望みや悪意が、形を変えて短い物語になっている。
とても読みやすく薄い本だったが後々まで残る、悲しさと美しさとが書かれていた。

 「海に住む少女」
美しい題名に惹かれてこの本を買ってあったが、美しいのは幻想的な海の街並で、そこにたった一人で住む少女は、寂しさを纏ったカゲロウのように存在する。遠い海に船影を見るより先に、少女はコトリと眠ってしまって町と共に海深く沈んでしまう。誰もその街を見たことがない。なぜ町があって少女が住んでいるのか、それは他の孤独からの投影で、二重写しになった悲哀が短い作品に結実している。

「飼葉桶を囲む牛とロバ」
ベツレヘムでキリストの誕生を見守った牛がいた。生まれたばかりのキリストに暖かい息を吹きかけて見守ったが、神の子の誕生を知った世界中の動物たちが祝福する中で、角を持った自分の醜い姿を恥じて死んでしまう。当時ヘロデ王が二歳以下の子供を皆殺しにせよという命令を出し、それを夢で見たヨセフはエジプトに逃れロバは伝説になった。
誕生を祝って訪れる動物の話は今でも語り伝えられるものもあって、それぞれの動物がとても優しく美しく描き出されている。死んで行った牛を見守る牡牛座も天に輝いている。

この牛のことが分からないので、買い物のついでに本屋によって、キリストや聖書の本を開いてみたが(ちょっと立ち読みで)何も書かれていなかった。うちにある旧新約聖書(たまたま布教に来られた牧師さんからいただいたものです)のマタイ伝を読んでみたが、やはり牛は出てこなかった。あとがきで「偽マタイ福音書」が出典らしいとあり、それに肉付けしたのはシュペルヴィエルだろうということだった。先に読む解説を珍しく後回しにして、時間をかけて遠回りをした。

「セーヌ河の名なし娘」「空の二人」「牛乳とお碗」は死後も命と魂は生きている何か不思議な世界。

「競馬のつづき」走り続けて河に落ち、馬になってしまう。

「ラニ」顔の半面をやけどして醜くなり、逃げたラニが、寂しさの末に村に戻ってみる。やはり人は自分を避ける。彼は自分の「もしや…」が空想だと知り叫ぶ「去れ!」

ことが全て落ち着くと、何億倍も孤独になったラニのそばには、(これから生きていくべき残りの人生)が、蛇のようにとぐろを巻いているのでした

「バイオリンの声の少女」
出す声がみんなバイオリンの音になってしまう。黙っていても呼吸が息が和音にになって漏れる、ひっそりとできるだけ静かに暮らしていたが、父親に夕食に遅れたことを叱られて、不満を持つと声が戻ってきた。

「足跡と沼」
悪意で人を殺した。それでも罪を隠そうとしたが不用意な一言で捕まった。珍しくピリッとした最後の一言が効いている。

「ノアの箱舟」
ノアの舟に乗せられなかったものの恨みの声を聞きながらも、乗せられた動物たちの態度が旅が長引くに連れて変わっていく、ノアは何か弱弱しく「どうしようもないことはどうしようもない」というばかり。何処までも泳いでついてくる男が天使の働きで二匹のネズミイルカになる、という少し滑稽で、自然な真理が面白い。


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