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夏の嘘



ベルンハルトシュリンク

勘ぐってみれば周りは嘘だらけ、なにも考えないことにすればついてもつかれても時と共に過ぎていく。
人の数だけ嘘がある、そう割り切らないと。中に人型をした嘘に苛まれることもある。
備忘録、少し長すぎ。

ベルンハルト・シュリンク、映画にもなったこの作者の「朗読者」は途中で読むのを止めた、恋愛小説は甘味の度合いで敬遠することがある。ナチの塩味が効いていても。それでも世界的なベストセラーは少し気になってiいた。

それでこの本を読んでみて大正解(^^)

日常は、本人も相手も、果てはみんなも罪のない嘘には目をつぶって、その中で暮らしている。悪意から出る嘘や思いやりのための嘘、中には裏側に多くの正義や真実があることがあるがなかなか気づかない。多くの言いたい真実の言葉を抱えたままでつく嘘もある。
読書のテーマを凝縮したようではあるが、味のある語りで、結果を主人公が静かに受けてめているところがいい。

大人になることは嘘が上手になることだと読んだか聞いたか、上手な思いやりのある嘘のある暮らしは賢明だといいかえられる。

そんな、意識的な嘘や、無意識についた嘘の話が7編。後になってあれでよかったと思ったり、後悔したり(結婚生活もそれに似ている)、今あるのはあの嘘が原因だったと気づくとか、そんな嘘がいつまでも尾を引いていたり、嘘のある日々の些細な暮らしが納得の語りで胸にしみた。そして嘘の裏の真実に気がついたとき、嘘の罪が暴かれる話には、胸の痛い部分もあり。現実の生活をまざまざと見るような話もある。

シーズンオフ
ニューヨークの楽団でフルートを吹いている男がシーズンオフの避暑地に来た。シーズン中に来られないのは経済的な理由だった。そこで知り合った女性は小さなコテッジにすんでいた。親しくなってみると、散歩で通り過ぎていた豪邸の持ち主だった。裕福な女性だったが、結婚して子供を欲しがっていた。男は休暇が終わり二人は空港で分かれたが、将来について悩む。庶民的な住処は今まで馴染んできた生活観がいい。ほっと一息ついてさてどうしようかと悩む。ささやかなプライドと生活の質の問題でうじうじと悩む、どうするのがいいだろう。自分はどちらにしても何かには悩んでいる体質なのではないだろうか。とまた悩む。

バーデンバーデンの夜
脚本家は、自作の公演があるのでバーデンバーデンにいく、女性を連れて。恋人がいるので、彼女とは何もなく別れた、高級ホテルに一緒泊まり同じベッドで寝た、それだけ。
恋人とは長い付き合いだったが、彼はフランクフルトで仕事をし、彼女はイギリスやアメリカなど各国の大学で講師をしていた。二人は共同生活には向かない環境で暮らしていた。
彼にはその後、仕事の注文がなかった。
女性とバーデンバーデンに行ったことも誤解された。
真実は人を自由にするだろうか、もしかしたら逆かもしれない、真実とともに生きることができるために、人は自由でなくてはいけないかもしれない。
真実を書き送ろう、彼女を失った後で、いい思い出を持っていてくれるように、又会えるように手紙を書く。仕事で活躍する彼女を持った悩める男の話。

森の中の家
彼と妻は作家だった、彼の評価は下がってきていたが妻は上り坂だった。森の中に家を買った。そこでなら二人とも仕事も進み、娘も伸び伸びと育つだろうと思った。だが妻のケイトは仕事に追われ、常に話は上の空だった。彼は電話線を切り町に通じる道を封鎖した。そこにケイトの車が突っ込み腕を骨折、娘は幸い軽症ですんだ。入院中に妻の受賞通知が着たがすぐには知らせなかった。「愛してるよケイト」と言ったが、妻は「あなたは狂ってる」と言った。なぜだろう、彼には分からなかった。 彼は退院してくる妻と娘を待ちながら封鎖した板切れを暖炉で燃やした。帰ってくれば又彼を愛していることを思い出すだろうと思っていた。

真夜中の他人
飛行機で隣り合った男性が話しかけてくる。彼は嫉妬で女をバルコニーから突き落として殺したと言う。そのとき飛行機がエンジントラブルで、一時は危険な状態に陥ったが無事フランクフルトの空港に着陸した。 男は彼のパスポートを持って下りていった。五年後に男はやって来た。8年の刑期の後半は保護観察になったと言う。金を貸してくれと言うので貸した。
男は空港の人ごみに中に消えていった、後姿を見ながらこの僕はどうなってしまったのだろう、自分が意味もなくあの男にここまで翻弄され利用されたとは理解しがたいことだった。

最後の夏
大学で講義をするためにフランクフルトからニューヨークに行った、初めてのニューヨークでは教えるより自由を満喫したかった。アパートは狭くエアコンはうるさい音を立てていた。その風で副鼻腔炎になり手術をしたが、まだ血も止まらないのに退院させられた。だが彼は幸福でありたかったためにその不幸を認めなかった。 幸福でなくても常に幸福を見付出す努力をした。彼は退職して家の前のボートハウスのベンチに座っていたかったので、ニューヨークの生活は終わりにした。
付き合った女性と分かれたときも幸福だと思っていたが、実は女性が厄介だと感じ出してはいた、その時は幸福にならないといけないと思い込んでいたのだ、と今は思う。
今の結婚生活の幸不幸は考えないことにした。好きな景色の中にいることを楽しもうとしていた。夏の日、子供や孫が来て賑やかだった。彼はボートハウスの陰に置いた椅子からそれを見ていた。彼は癌だったが安楽死教会から「死の天使」と呼ばれるカクテルを貰っていた、それを飲むときが最後になるだろう。家族が眠ったとき飲んで朝発見されるのだ。痛みのない穏やかな死が訪れ家族とも穏やかに別れられるだろう。
最後の夏が不幸を含んでいても自分はそれを知ることはない。彼は夏を楽しむために家族にクレープを初めて焼いた。孫たちと出かけることもした。妻と思い出話をし一緒に寝た。次第に激しい痛みに襲われるようになった。
妻がカクテルを見つけて酒がある意味を知った。妻は怒って出て行き子供たちもあわてて帰っていった。
奇跡を信じていたわけではない。しかし彼は自分がいささか勘違いしていたことに気づいた。痛みが次第に強くなり、どんどん耐えがたくなり、もう耐えられなくなったら、分かれの決断が自然にできるものだと想像していたのだ。カクテルを飲んでこの世に別れを告げる決断は、もはや自然にはできなくなっていた。彼が決断を下さなくてはいけないのだ。そして、まだ時間の余裕があったために、その決断がどれほど難しいか、彼はまだ意識していなかった。腕や足の骨が折れるまでになったらーーーそのときが決行のときなのだろうか?
彼は耳を澄ませてて足音や物音に注意したが誰も帰ってこなかった。望みがなくなったときから身の回りを構わなくなった。酔っ払って転倒し、意識をなくしたりした。骨折はしていたが家に帰れた。
タイプライターに向かい妻に詫びの手紙を書いた、薬の入った箱の鍵を中に入れた。何もかも妻に託すのか?そう思ったときスペアキーが見つかった。妻はいつ来るのか、彼は鍵を湖に投げた。

リューゲン島のヨハン・セバスティアン・バッハ
彼は映画のハッピーエンドで涙が出た。今まで人生の悲しみに出会ったときは泣きたいと思ったが泣けなかった。
父親とはよく意見が対立したが、父の勝を認めさせるのがイヤで泣かなかった。父には今まで反抗してきたが、レストランで仲の良い家族が談笑していたのがねたましく思えた。
好きなバッハのコンサートのチケットを持って父を旅に誘った。プログラムを読んで父は「いいね」と言った。
昔の思い出を聞いていたが疲れた父は椅子を倒して眠ってしまった。
車は走り続けたが父は、夕方まで眠っていた。
朝になって父と浜辺に散歩に出た。父の弁護士時代の話や健康について聞いた。何かは話さなければと言う気持ちが次第に楽になって、父は窮屈な服を緩めて砂に座って黙っていた。父は今の心境について少し話した。
コンサートの前になると父は勢いよく喋り、とても楽しみにしていた。
演奏は硬かったが父の感想は暖かかった、まるで独り言を行っているように喋り続けた。
「どうしてそんなにバッハが好きなの?」
「なんて質問なんだ」
「バッハは反発するものたちを和解させるんだ。明るいものと暗いもの、強いものと弱いもの、過ぎ去ったもの・・・」
父はほんの一瞬息子の肩に手を置いた「おやすみ」
次の日は黙って散歩をして岬で休んだ。その後町のコンサートを楽しんだ。父とは無言のままだったがそっとして欲しい父をそっとしておいた。過去に父と共通の何もなかったことが感傷的にさせた。
次の日のプログラムについて父は話した。それは宗教音楽で、父は教会に行っていたが子供たちは行っていなかった。それを悲しんでいた。父の宗教的回心のことを尋ねたが「わしが何か劇的なことを隠しているなんて考えるべきではないよ」といった。
次のコンサートは宗教曲だった。
これまでバッハの音楽を甘美だと思ったことはなく、誰もバッハに関してそんなことを考えないだろうと思っていた。しかし彼が感じたのは、甘美さはときには痛みを伴うが、ときにはこの上なく幸福にもしてくれること、そしてコラールではその甘美さが魂の深い部分に和解をもたらすということだった。なぜバッハが好きなのか、と尋ねたときの父の答えを彼は思い出した。
無言で帰り、朝の出発の時間を確かめて父は「おやすみ」といった。
帰り道には、もう無言は不安でなくなっていたが、標識を見て父は思い出や知識を話した。彼は買ってきたバッハのCDをかけた。
雨をよけて橋の下に停まった。父は涙をぬぐってハンカチをきちんとたたんだ。外をみて「もう出発できるんじゃないかな」と言った。

南への旅
彼女は子どもを愛するのを止めた。愛情がなくなっていた。誕生祝には子供たちが孫を連れてきた。だが出て行った夫の再婚相手の話題は出なかった。
孫たちも彼女にお祝いのスピーチをした。
ウイルスのせいで高熱が出た 次男の娘のエミリアが付きっ切りで看病をしてくれた、医学部への入学前だった
彼女は熱にうなされ、舞踏会で片腕のない男と踊った夢を見た、若い頃の出来事を思い出したのだ。エミリアはその男を探し出してくれた。気が進まなかったが会いに行った、今は哲学書を出す学者になり粗末な家に住んでいた。彼女は彼に捨てられたと思っていたが、彼に聞くと彼を捨てたのは彼女のほうだった。幼馴染で家柄も釣り合い将来の有る男を選んで結婚し、記憶を都合のいいように変えてしまっていた。
「わたしの人生がうまくいかなかった話を聞きたいの?あのころ、あなたのことを待っているべきだったといいたいのね」
「ぼくは以前、そのテーマについて書いたことがあるんだ。人生を決めるような大きな決断は、正しかったり間違ってたりするわけじゃない。ただその結果によって、違う人生を送るというだけなんだ。きみの人生がうまくいかなかったとは、ぼくは思わないよ」
エミリアは彼女を家まで送り出発した。

どの男性も煮え切らない、自分本位に考えすぎて悩むところが、何か真に迫ってはいる、どちらかといえばここでは女の方が前向きだ。

「最後の夏」は晩年の思いがうら悲しい。死が目前にある人の心境。現実の重みが迫ってくる。若い頃は自分の晩年を甘く考えている、言葉では言うがまだ実感がわかない、それを見通しが甘いとか、考え不足というのだろうか、一言で嘘ともいい切れない、ガン末期の夫を置いて奥さんは怒って出て行ってしまうのだろうか。
「バーデンバーデンの夜」息子と父親はえてして意見が対立するようだが、いくつになっても理解しようとする試みもうまくいかないところがある。凝り固まった氷はなかなか溶けず、ここで心の動きが、少しずつは溶け合っていくところなど、将来に希望が持てる。許せる何気なく通り過ぎる程度の嘘は罪がない。


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