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屋烏



乙川優三郎

昔ながらの家屋には、家の歴史のように長く棲み付いたものがいる、烏も蛇も、そして親代わりの長女のように。みんなそれなりの小さな幸せを守って。

5つの短編が収められている。どれも人物や情景の繊細な描写が優れた名品揃いで、明るい未来を暗示する終わり方も、日常の疲れが癒されるようだった。
「生きる」で初めて出会い、続いて4冊借りてきて、順不同で読み始めた、聞くところによればこのほかにもっと評判の高いものがあるという。
随分読んだつもりでも知らない作家や作品は山のようにある。読書は楽しい。

「禿松」
奥田智之助、妻は「とせ」といった。上士からもらった嫁だったが、無愛想なのは、彼女の生い立ちに少し曰くがあるからだった、だがこの10年、妻としては非の打ち所がなかった。
ただ智之助は「とせ」より前に「初」という娘と婚約したことがあった。待ちきれず祝言の二ヶ月前につい手を出し現場を見られてしまった。すぐに破談になり「初」は自害を試みて、未遂に終わった。お互いに家庭を持つ身にはなったが、智之助は心の隅に「初」をそっと隠していた。
藩政のなかで家老と次席家老の争いが表面化し、家老失脚の話がまとまり、同志のなかから「初」の夫が上奏役に選ばれた。背格好の似ている智之助は「初」に関わりがあると聞き、囮になって追っ手を巻くことを引き受けてしまう。
「断れば生涯出世は諦めよ」といわれ、湯治という触れ込みの「初」夫婦の後から出発する。大筋はこうだが、話は智之助と妻の「とせ」との情愛で、頭の薄くなり始めた頃、やっと無愛想に見える「とせ」という妻の愛すべき本性に気がつく、悲運な初との再会がきっかけではあったが、いい話になっている。

「奥烏」
屋根にじっととまっている烏のように、亡くなった父母の代わりに弟たちを育て家を守り、婚期を過ぎるまで尽くしてきた揺枝。唯一の息抜きにしているお寺参りの途中で襲われる。それを救ったのは顔に傷のある何かと評判の悪い侍だった。揺枝は彼を忘れられず、礼にかこつけて家を訪れてみた。
だが、彼には他人に言えない役目があった。
そしてお互いの「奥烏」のような生き方を知る。結びがとてもいい。

「竹の春」
仇の高須蔵人が見つかったと兄が知らせてきた。出奔した勤皇派の蔵人は姪の許婚だった。蔵人が姪を連れて行ったことになっていたが、足手まといをつれて出奔するだろうか。
姪の「うね」は部屋住みの与五六にいつも優しく、成長しては塾生になって世の中に明るかった。与五六は「うね」から教えられることが多かった。
勤皇と左幕の志士の間で政治も揺れ動いている時代だった。探し当てた「うね」は身重で、日に焼けていたが、話してみるとしっかりした意志が伝わってきた。
志士狩りの追っ手から蔵人夫婦を助け、傷ついた余五六には、自分の行く道が見えた。

「病葉」
父の後添えは多一郎よりわずか三歳年上というだけであった。多一郎はその継母から放蕩に使う金をせびり続けていた。が父が倒れた。
一命を取り留めたが、寝たっきりで、その上、派閥争いに負けて減俸。逼塞させられた。
侘しい古家に移ったが、継母は献身的に父の世話をし、父も少しずつ動けるようになった。
そこに藩主が帰国、父も許され元の家禄に戻った。放蕩仲間が継母を下卑た話の種にした、そのとき多一郎は自分を振り返る。
窮乏した折、継母が薬代を工面したこと、それには暗い事情があった。
多一郎の再生と、介護ということ、それに伴う人と時代のあり方を描いている。

「穴惑い」
三十四年ぶりに本懐をとげ帰宅した上遠野関蔵は、冬眠の遅れたヘビが穴を捜して這っているのを見た。
帰国して見つけた我が家は、身分にそぐわない貧しい家で、妻の喜代は畑の世話をしていたが、お互い長い歳月のあとを残していて、にわかには見分けることが出来ないほどだった。
家を守っていたのは弟の栄之助だった。長い浪々の旅で蓄えた智恵は、薄情な栄之助の本性を見抜いた。
見込んだ甥を養子にして家督を譲ることを決めた。
栄之助は承知しないだろう。関蔵は栄之助の考えは手に取るように読めた。先手を打たなければならない。
家と仇討ちと言う不条理と、先行きのあれこれ、関蔵の生き方に胸がすく。「穴惑い」という題名もいい。

あらすじを書いたが、読めば情緒的な時代小説の名手だということがわかる。


お気に入り度:★★★★☆
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