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戻り川心中 (1980年)



連城三紀彦

初めて読んだときは、これが今読んでいるミステリ小説というものと一線を画すような名作で真の「推理小説」かと鮮烈に感じた作品です。その後名作と次々出会って嬉し泣きですが。

思い出せば初読みは連城三紀彦や赤江獏、ジュネなど村上芳正のイラストが表紙を飾り始めたころで、その不思議な幻想的な雰囲気がひときわ目を引いていた。
先に評を書いた赤江獏のニジンスキーの手も初めての時の表紙は村上芳生で読んだと思う。

2014年に「連城三紀彦レジェンド」が講談社文庫から出ていて買って来た。それを見るたびに記憶が薄れてしまった「戻り川心中」の再読が先だろうと思っていたのですが。

5編の短編が「花」で括られている。

☆ 藤の香
瀬戸内の岬にある色町に近い長屋に私は縫という女を囲っていた。藤の葉陰に狭い入り口が透けて見える角の一軒に代書屋がいた。影の薄い彼は文字の書けない女たちの手紙を書いてやったり気長に話を聞いたりしていた。そこで胸を刺され顔を石でつぶされた連続殺人事件が起き、疑われた代書屋が逮捕された。彼は罪を認めて牢で死んだ、縫の庭で遅れた一房の白藤が咲いていたころ。
しばらくして又神社で人が殺された。謎ともに花街の灯影に隠されたものが浮かんでくる。

☆ 桔梗の宿
長屋裏の路地で溝泥にまみれて男が死んでいた、桔梗の花を握って。
懐に500円入っていたという、それが無くなっていた。
娼家が並ぶ街に若い巡査が捜査に入る。幼い娘が二階の狭い部屋にいた。窓越しに桔梗の鉢が並んで白い花が咲いていた。殺された男は部屋に来てはただ並んで寝るだけで帰っていったのだという。幼い女が部屋で見た男の顔。その時、八百屋お七が聞いたような鐘の音がして眼鏡の奥の顔が心に沁みついてしまった。女は「鐘の音が聞こえます?」と訊いた。
驚く結末を用意した技巧的な秀作。

☆ 桐の柩
親分は自分の桐の柩を用意して、隣の部屋に誰にも触らせず据えていた。
先代から寵愛されてきた男がいる。次男は支那事変から帰ってきたところだった。飢えた彼を拾ってくれたのがその男で、男は右手の指がなかった。下町の木場にある小さな組の者だった。それが次男の崩れ始めだった。男の代わりに死んだ先代の女の元に通わされ、帰っては男の男色の相手をした。先代の女と男は次男を介した奇妙な交わりつながっているようだった。男から必ず右手で人を殺せと言われた。男の奇妙な振る舞いと、柩と男と女と男の背後にあるやくざな過去と、それが持つ深い意味を次男が知った時。
死骸を焼くのに棺桶は要らない、だがしかし、柩を焼くのには死骸がいるのではないか。
桐の柩から始まった奇形な人生の物語。

☆ 白蓮の寺
幼いときの記憶は燃え上がる寺の炎でした。それを母と見ました。母は池の蓮の花を床の下に埋めていたこともあります。私は少し記憶が途切れて、闇の中に記憶がバラバラに閉じ込められています。寺で生まれたのですが母には忌まわしい噂があって、逃げるように父に嫁いできたのです。父は5歳の時本堂で焼け死にました。母の災厄は再び村では白眼視されて二人で東京に移りました。記憶の中に白い顔が浮かんできます。男が逃げて女が刃物をもって追いすがる場面もあります。遡ってそれを回りに尋ねるとそれらしい答えが見つかります。しかしそれでもいつも夢にうなされるのです。
そしてとうとう私の不思議な記憶の糸は凄惨な形で繋がったのです。

技巧的な美しい文章と、悲しい母親の愛、謎が幾度も反転して裏に見えた顔が何度もこちらを向く、これは名作としか言いようがありません。

☆ 戻り川心中
苑田岳葉は大正末期に天才歌人といわれていた。だが34歳で二度の心中事件の果て命を絶った。最初の相手は桂木文緒という若い学生で彼に憧れて桂川で情死を計ったが、二人とも生き残った。
二度目はカフェの女給で依田朱子といった。二人は似たような境遇で伴侶が重い病気だった。
狭い汚い部屋で過ごし湖の舟に乗った。菖蒲の花が盛りで、舟は葦原を漂った。朱子は苑田が用意した薬で死にきれず手首を切って死んだようだった。舟で意識不明のまま苑田が助けられ、彼は元の狭い宿で56首のちに「蘇生」と題される歌を完成させ、花器の破片で喉をかき切って死んだ。奇しくも同じ時に文緒も死んでいた。

苑田の死後、友人の私は苑田の生涯を「残燈」という小説にした。だが二度目の心中事件の後は未完のままにしていた。なぜ続きを書かないのかという問いには、文緒の家族からの抗議もあったが、苑田の情死は理解できるが、経緯は本人以外は知るべくもないと答えてきた。

改めて古い原稿を読み返した。先の原稿は彼の遺稿を参考に書いたものだったのだ。
後になって、二度目の心中現場になった千代ケ浦を訪ねてみた。そこで初めて死の真実を知ってしまった。そしてそれは公表してはならない、私一人の胸に収めなければならないと思ったのだ。

最後の歌集「蘇生」では駅で降り、意識を取り戻すまでがうたわれている。苑田の歌を読めば、その経緯がすべてわかってくる。

その後の「残燈」は蘇生後を歌っている。
湖で夜のおぼろな灯火も消えようとするとき、舟は葦原を抜けようとする。菖蒲の茎で二人の手首を結んだ。そして苑田だけが生き残ったのだ。と歌ってありそうだと思っていた。それまでの歌を読んで。
彼は戻り川を知っていたのではないか。
そして私は「蘇生」を読み返してみる。

舟が流されていく夜の風景描写、花しょうぶの咲く夜の、空と水と命の美しく暗い風景が見事に浮かんでくる。取り上げた歌が重要な小道具以上の効果を上げて、後世に残る名作になっている。

作者のあとがきで、落城したという「幻影城」との強いきずなを感じます。

連城三紀彦
夜よ鼠たちのために


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