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高峰秀子と十二人の男たち

高峰秀子と十二人の男たち 読書
亡くなられたけれど、高峰秀子さんが好きだった。今でも。
「渡世日記」や「まいまいつぶろ」を読んだことがある。
好きだなと思ったのは、何だったか忘れたけれど週刊誌で読んだ一言だった。多分答えから思うと「ポルノは読みますか」という質問だったろう。そこで「読みません、教わらなくても知ってます」というストレートな答えだった。
その頃は、宇野鴻一郎などのきわどい官能小説をよく見かけていたので、私などは時間を使って読む本は純文学がいいなどと生意気だった頃で、この言葉に痺れた。それだけでなく意見を述べるのに媚びない姿勢にも痺れた。

そして、先日図書館で見かけたこの本を読んで、「知っています」というのは、結婚しているので男女のことは判っています、ではなく後年に出演した「浮雲」のように、男のために愛と恨みの波にのまれたような女を演じた、清純なイメージから、ついに泥沼を見た女になったこと。ただ「知っている」だけではない体で覚えた人生観も含まれていたのだろうと気が付いた。
体験と演じることは違うなどと小難しいことは考えない。人を殺さなくても作家は書けると理屈も浮かんでくる。
私などは名女優といわれた人の中にこの方を入れている。
そんな高峰秀子が亡くなった後に出版されたこの対談集は遠慮なく編集しただろうと肉声を聞いた思いがした。

26歳から80歳までの対談集で、今は鬼籍に入った人がほとんどだが、時代の香りを纏いながら懐かしい世界にふれた。興津要さん以外の方は私でも知っている。やはり時代の一端を担った人たちだろう。交友関係も広い。

☆谷崎潤一郎との対談も興味深い。「細雪」が映画化されたときの話で、高峰秀子は元気なこいさん役だった、ただ大阪弁ができなくて訓練したそうだ、音程などとともに、文豪谷崎は関西にいて詳しく、話が面白い、言葉のことと和服にはこだわりがおおく、姉妹のそれぞれにあった着物がきちんと分けられていることに、新しい発見があった。
阿部監督「もちろん『恍惚の愛は』ご覧になりましたでしょう」
谷崎「全然直してあって、自分のもののような気がしなかった。だけれどそういうことを離れて見ましたがね」原作者はこういう見方もするのかな、印象的だった。
だが、阿部監督の奥畑(オクハタ)敬一郎が…。
というのに、それはね、オクバタケと読んで下さい。と訂正している。

☆三島由紀夫とは年が近いせいもあってやや先鋭的な三島に斜に構えた発言で返している。

☆何もかも捨ててパリに行ったことをフランス文学者の渡辺さんと率直に話している。フリーになって新しい生活を求めて飛び込んだことなど何度も読んだ記憶があるが、自由な暮らしに憧れて決行(実行)した勇気は高峰さんらしい。

☆近藤日出造さんには「そんなほんとうのこというと評判落とすよ」と笑われて題名にもなっている。その後も自分の言動に率直だった、聡明で思慮深いが、こういう生き方なので次第に思い残すものが減っていったのではないだろうか。

☆森繁久彌さんとは「恍惚の人」で共演して、老いについて語っている。森繁さんも亡くなったけれど、こうして疑似体験できる役者の生き方に学ぶところもあった。言葉に重みがある。

☆林房雄「あなたは若いときから哀しいひとでしたよ」

「上手で残っているか、丈夫で残っているかって」田中絹代さんや山田五十鈴さんと話したんですが」
生き残りについて林さんは「芸の力ですよ」といっている。
そういえばこの方々が亡くなったときは新聞に大きく掲載されていた。

水野晴朗、長部日出雄とは二人の映画薀蓄が素晴らしく、長部さんの時は高峰秀子最晩年80歳で、電話対談になっている。

父母が映画好きだったので、少しだけれど見た記憶もあって懐かしかった。

伝説のようになった多くの名画を残した高峰秀子さんという人の生き方は、できればこう生きたいと思うような、身ぎれいで無駄がなく冷たいようで芯は暖かく、この世を渡っていった人のように感じた。


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