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文車日記―私の古典散歩



田辺聖子

先日奈良を歩いてきた。天平・白鳳時代の寺や仏を見ていると 奈良の都は時の中で静かだった。高円山を道路がとりまき、しばらく見ない間に風景が変わっていたが。帰って目についた有名すぎる古代の本を読んでみた。

 
昨年、たくさんの本の中から、選んで残していた母の蔵書を片付けていたら中に紛れていた。母はおセイさんが好きだったなとしみじみ思い出し、目につくところに積みかえておいた。少し暖かくなったので奈良方面や明日香にも出かけてみたい。ちょっと旅心が湧いて。

この中には67編のエッセイがある。見出しに丸がつけてあるのは母が気に入ったものだろう。
ざっと読んでみると、私も一度は読んで二人で話したはずなのに想い出すものとそうでないものがある。時の流れは寂しい。目次を見るとジャンルも和歌や故事に限ったものでなく落語まである。さすがお聖さんだね。と亡き母が笑いかけてくるようだ。

まぁこのところを、田辺さんならこうか書くのかとおもいつつ、あまりにも知られ過ぎているが、この有名どころから。
永井路子さんが、珍しく現代小説にして明日香を書いた「茜さす」を読んだところだし。

☆ 額田女王の恋(万葉集)

奔放な歌と物語を残した万葉の星。少女の頃に中大兄皇子に従ってきた大海人皇子と恋に落ちた、厳しそうなお兄さんより優しい微笑と優雅な弟の方がいいわ。
おおらかな歌で斉明・女帝に愛され、有名な歌を読んだ。

 熟田津に船乗りせむと月まてば潮もかないぬ今は漕ぎいでな

彼女は宮廷の華で、周りの人々の心を惹きつけていた。
兄の中大兄皇子にも求められた。斉明帝が崩御し天智天皇が即位し、その男らしい統率力を見て愛人になった。
ある初夏の一日、蒲生野で狩りが催され、大海人皇子をみかけて歌った歌。

 あかねさす紫野ゆき標野ゆき野守は見ずや君が袖ふる

大海人皇子の返歌

 紫の匂える妹を憎くあらば人妻ゆゑにわれ恋ひめやも

周りは大喝采。
座興とはいえ実におおらかな歌だった。
この時は何十年の前の記憶が浮かび、その中には恋の記憶も、こんな馴れ合いの歌の中にはあったのかもしれない。

その後も天智天皇の愛人であり続けたが没年は定かではない。

 君待つとわが恋居ればわがやどのすだれ動かし秋の風吹く

晩年の

 いにしえに恋ふらむ鳥は時鳥けだしや鳴きしわが恋ふるごと

どちらの天皇を深く愛したのか、巫女の身分でお后になることはなかったが、聖子さんはどちらも同じウエイトで愛したのではないか、と締めている。

☆ むかしはものを

百人一首の中で人気がある歌。

あひみてののちの心にくらぶればむかしはものを思はざりけり

あなたにあってから物思いが増えました、と私などは読み取ってきた。

だが聖子さんは「あひみての」に複雑で皮肉な響きがあるという。
あい見るとは、ただ出会ったのではなくて、既に一夜をともにした。その後男はひょっとして白けてしまったのかもしれない。
あぁ昔思っているだけの日々の方が良かった。恋は萎んだ。

作者の藤原敦忠は男女の愛の微妙なながれのゆくすえを早逝者の直感で洞察していたに違いありません。

こういう読みは初めて知った。聖子さんの選ぶ愛の歌は、洞察も興味も深いものだった。

このあたり遷都も多く皇位継承争いも激しくて、女帝もつらい時代だった。壬申を前にしてしばらくの安寧の時代、後世になって歴史の隙間を埋める物語や歌を読んでみるのも面白い。


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