サイトをSSL化しました。セキュリティアップ!

溺レる



川上弘美

不思議な世界に溺れました。

現実とは、少し軸のずれたところにいるような男女。どの作品も片方は生活者として社会参加もしている、しかし、どちらかは日常生活の中で時間や、住んでいる地面から少し浮かんだような奇妙な空間で暮らしている。
二人はこういうカゲロウのような淡い、見方によってははかない弱い生き物になっている、そんな日向か蔭か、流されて生きる人を書くのは、川上さんならでの世界だ。

短編集だが、テーマは、道行というか、世間からはみ出した二人連れの話で、行き着くところは、お定まりの別れだったり、話の最初から心中行だったりする。
別れは、まぁ文字通り、二人のうち世間並みに生きていける方が去っていく。
情死は遂げたが、目的どおりうまく死ねたり、片方が生き残ったりする。そして死んだ魂が、百年、五百年と漂っていたりする。
こういう風に登場人物の生活は何かとりとめがなさそうで、その根源は、単純に見えたり、哀しかったり恐ろしいものかもしれない。
川上さんの言葉の独特の優れた感覚、感性が雰囲気のある、短編集になっている。

「溺レる」という題名。次第に日常から離れて溺れていく男と女がアテもなくさまよい、部屋に帰ればはアイヨクに溺れる。
そういう行為が全編にわたって書かれているが、アイヨクに溺れたり、交歓だったり、交合したり、情を交わしたり、挑みかかられたりして極まったり、極まれなかったり極まったフリをしたりする。男が可哀想で施してやったりする。
ポルノに堕ちない文学作品はこういう書き方もあるのか。
作品の背景によって書き分けてられている情景も生々しくおもしろい。

さやさや
溺レる
亀が鳴く
可哀想
七面鳥か
百年
神虫
無明

男がこどものころ寝ていたら「七面鳥」が胸に乗ったという、夢の話か、それにしても足をたたんだ七面鳥の感覚が今でも甦る。
面白い話。

「さやさや」もいい。飲んで揺れる男の腰を見ながらついて歩く。気持が悪くなって道端で吐き、草むらに入って放尿する「さやさや」と音がした。

「溺レる」では、逃げている二人の会話がどこかずれているのに、二人で逃げている。
「リフジンなものからはね、逃げなければいけませんよ」といわれ
ひとつ逃げてみますか、というので逃げ始め、だんだんその意味も分からなくなってくる。

女は何もしないでゴロゴロしている。物事も全うできなくなった、以前は出来ていたのに、だから男との生活も全うできなかったのだ、「別れる」「出て行く」といって男が去った。

「百年」は心中で海に飛び込み死んでしまったが、男は助かり何もなかったように家族との生活に戻った。男は87歳で死に子も死に孫も死んだのがわかる。

「無明」
不思議な世界、事故で二人とも死んだが、今度は不死の体になった。男は50年前にタクシーの免許を取り運転手をしている。五百年経ったけれどまた五百年くらいすぐ過ぎるさ、と男が言う。無明の一面。

あらすじは余り意味がない。短い物語なのに面白くて、特に結びがいい。

川上さんの作品は読むたびに後に残る。全作読みたい思う作家が多くてなかなか追いつかない。まだ先があるというのも嬉しいけれど。


お気に入り度:★★★★☆
掲載日: