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生きる



乙川優三郎

しっとりした時代小説もいいと読んでみたが、侍社会も生きにくさは同じ。「サクラ」のように散りたい気持ちも分かる。特に「生きる」を読んだ後は。

題名から、主人公が粉骨砕身するような、「生き方教本」ではないだろうかと少し手が出ずにいた。でも聞くところによると、そういう物語を書く人ではないらしい。
図書館でパラパラと立ち読み。
そして、衝撃を受けた。
短編が三篇あって、その二篇目
「安穏河原」の冒頭。
少し長いが・・・。

 あれはたしか六歳の秋だったから、享保十七年のことになるだろうか。父母に連れられてどこかしら急な岨道を下ると、鮮やかな雑木紅葉の下に川の流れが見えて瀬音が冷たく聞こえてきた。薄暗い斜面から光の中へ出ると、そこは石の河原になっていて、元々そういう地形なのか雨の少ない年だったのか、川は見えるところでは細い流れになっていた。
 それまで歩いてきた道が暗かったので、双枝はその河原へ出た瞬間、夢の中でしか見られない別世界に踏み込んだような気がしたのをおぼえている。澄み切った空に映える照葉がたとえようもなく美しく、一目で目蓋に焼きつく光景だった。紅は漆や櫨で、黄葉は柏や櫟だったかも知れない。ときおり川面に憩う落ち葉が、いま思い出すとそんなふうだったような気がする。

繊細で色彩豊かな風景が、かって見たような、今でも心に奥底の原風景を震わすような美しい始まりだった。
読み進めるうちにそれは、その後の一家の行く末を暗示するような一時の安穏な思い出だったのかと気づく。

当時、父は郡奉行で、夏が過ぎても日に焼けている顔はそれだけ逞しく見えた。どんなときでも毅然としている人で、躾もきびしかったが、その日だけは嘘のように優しかった印象がある。普段はいつ見ても険しい顔が、たえず口元がほころんでいたからだろう。双枝は晩秋という季節の寂しさも、じきに散ってしまう紅葉の儚さも知らなかったが、父は腹をくくって自身のそういう運命を笑っていたのかも知れなかった。人生の厳しい冬を前にして、父もいっとき輝いたような日だった。事実、それから数日後に父は退身し、一家は国を去ることになったのである。

こうして物語は始まり、いつまでも武家の矜持を持ち続けた父と娘の、その後が哀切極まりない。
窮乏生活を送ることになり、苦界に身を落とさせた父の願いと深い悔恨、娘はそれでも生きようとする。心を打たれる終章に行き着くまで何度か読み返しながら、繊細で暖かい物語を楽しんだ。

「生きる」
それは「生きる」ことではあるが、死ぬべき機会をなくして、「生きねばならなかった」男の物語だった。
庭に咲くアヤメの花で毎年の吉凶をささやかにうらなっているという、さりげない話も美しい。

「早梅記」
下働きの「ききょう」という娘に心を引かれながら、縁あって家に見合う娘と夫婦になった。その後の年月の間には子どもにも恵まれ無事勤めを終えた。
隠居後すぐに逝った妻のことなどを思い、なすこともなくなった無聊や、わずかな孤独も感じていた。
いつもの散歩道のさきに、足軽小屋があった。
婚儀の話が来るとすぐ、そそくさと行き先も告げずに去った「ききょう」はどうしているだろう。風の便りに足軽に嫁いだと聞いたが。

三篇ともに、余韻が残る筆致で、いつの世にも変わらない人の行き方の奥深くにある情感を、見事にえがいた感動作だった。


お気に入り度:★★★★☆
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