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緋文字



ホーソーン

彼女は胸に罪のしるしの赤い文字を刺繍した服を着て証拠の子供を抱いていた。
彼女は周囲の蔑視の中でも縫い物の腕を生かして生きていく、その姿勢に人々はいつか彼女の罪を忘れていく。

現代のオースターから手を広げて、と言うかアメリカ文学の金字塔ってどんな?という好奇心で読んでみた。
ナサニエル・ホーソーンの緋文字。ホーソンだと思っていたのでホーソーンとなると、-の分だけキー打ちが 増える。ホーソンの緋文字(ひもじ)このほうが題名の読みは、まぁ緋文字(ひもんじ)より言いやすいけれど。

1957年訳。窓掛けはカーテンだろう、姦通小説とはいまでは不倫とか浮気とか、でも現在でも常に世間を騒がすくらいの数は話題になっている。昔ならこの話のように、罪の重さで天国の門はくぐれない人も多いことになる。

姦通といえば江戸時代は不義密通で、市中引き回しの上獄門打ち首とか、重罪だ、近松さんは心中を求めて走った。芸能記者だ、昨今は受け止め方も軽い。朝のニュースの時間に別枠の「エンタメ」あたりで興味津々で放送する。

やはり名作の薫り高い、全て言い尽くす濃密さで、植民地時代のアメリカの様子も、清教徒が住み始め、新しい文化や政治が整い始めたたころの勢いが書かれている。

母国イギリスの古い伝統をより良い物にしようとした、戒律のより厳しいところ、階級で言うなら最高位に当たる地位の教会の牧師。
そんな背景の中で、姦通の罪で獄舎から出てきたへスター・プリン。裁判の結果3時間の見せしめで処刑台の下に立つことになった。本来なら死刑に当たる罪だが、徳が高く、皆の尊敬を一身に集めている若い牧師ディムスデイルが熱く擁護したのだ。

彼女は胸に罪のしるしの赤い文字を刺繍した服を着て証拠の子供を抱いていた。
彼女は周囲の蔑視の中でも縫い物の腕を生かして生きていく、その姿勢に人々はいつか彼女の罪を忘れていく。

子供はパールといった。妖精のように可愛く自由に育っていった。

七年後、かって母国イギリスで、行方が知れなくなっていたへスター・プリンの夫が、面変わりした姿で医者になって現れる。彼は若い牧師の健康が優れないところに取り入り、彼の病気は身体からでなく心の深いところに原因があると言う。
そして、ついにこの牧師こそパールの父であり、へスターの姦通の相手だったことが明かされる。

牧師は過酷な修業を自分に強いていた。 優れた学問で得た知識や慈しみ溢れる説教は教会員を虜にしていたが、彼はそういった評判に対して、自尊心と、罪に伴う深い悔恨、常に離れない、人を欺いているという意識に蝕まれていった。

医師は遠巻きに牧師を追い詰めていく。牧師はその高潔な人柄で疑うことなく医師を信頼し、一時は同じ部屋に住み、広い家があるとそこを借りて両翼に住んで常に行き来してきた。

牧師の破戒の罪という意識を、ホーソーンは様々な面から書いていく、歴史や人間関係や、教義や本質的な人の心のゆれについて、これが文学性が高いということかと思う。
またそれぞれの心理描写も細かい。

ストーリーとしては、この牧師の苦悶が悲惨だが、平然と潔く赤い文字を晒して生きていくへスターの姿は牧師に比べて罪を意識しないでいられるのは子供という救いと、罪のしるしを緋文字にして常に胸につけ見せてしまっていることが心の軽さにつながっている。

牧師が集まった教会員の前で、死に際に罪を認め、へスターに看取られて息耐えるのは終盤で、話はあっさりと幕を閉じる。

その後のパールとヘスターの生き方に触れ、医師は残酷な目的を持ったために地獄の門に向かうところで終わる。

ホーソーンの宗教観は当時にあって厳しい、牧師の苦しみは姦通を超えたところにあることを書く。
連綿とした彼の悩みの根源が、厳しい生き方を選ぶとすればそうだろうか。
宗教特に厳しいピューリタニズムは物語の中で心理的には理解できなくて、歴史的な事柄として読んだ。


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