不思議な生と死の境目や、それらが重なる部分を味のある表現で書いた作品で、漠然とした異常さがうっすらと滲んできて、少しずつ生き方が逸れて来る人を書き出している。
面倒な本を再再読中にちょっと道草をしたが、テーマも、スタイルも工夫があって、とても面白かった。
おみちゆき
おみちゆき という土俗的な風習のある村での話。和尚さんが即身成仏するために穴に入った。持ち回りであるが、母の代わりに様子を見に行くことになった。
夜のあやしげな音の中を穴まで行き、地下に伸びた竹を伝わってくる気配に耳を澄ます。
和尚がなくなって久しく、子どもたちと帰省したお祭り小屋で、遺骸と再会する。宗教的な話ではなく仏門に入った人の最後が、子どものころの妖しい思い出になっている。
同窓会
小学校の同窓会だけは、毎年行われて、世話役は律儀に連絡をよこす。そのころ仲がよかったメンバーは、どうしても集まらなくてはならない秘密があった、みんな小学生だったころのあのことが胸の中にしこりになっていた。
闇の梯子
静かで近所付き合いの煩わしさもない、うっそうと茂った木に囲まれた家に移った。妻と二人の暮らし。仕事を終え家の近くまで来たとき何かの黒い群れが家にぞろぞろと入っていくのを見た。
道理
付き合った女は、話を全て「道理」という言葉ではかっていた。生きる柱は道理にかなったものでなくては、という。
結婚した妻もいつの間にか「道理」を説くようになった。ある日散歩の途中でガーデンパーティーのような集会に入ると、そこは道理で話し、それで仕切られたひとびとが集まっていた。自分は……。
前世
前世を見るという女に会う。何度も夢見る母との夢を思う。
私は嫁いで子を生んだ、飢饉の年だった、子が泣くと外に出される、吐く息は白く冷たい。手を引いて川のほうに歩いて丸い石をさがす、それが夢のように思い出されて。
わたしとわたしではない女
いつもその女は私の傍にいた。私だけに見える女は、私が子を産むときも傍にいた。
かなたの子
死んだ子に名前をつけてはいけない。死んだ子は鬼に食べられる。そういわれていた。だが文江は死んだ子に如月という名前をつけた。如月はかわいらしく育っていた。次に身ごもった文江に、如月は「「海べりの、くけどにいる」といった。文江は電車を乗り継ぎ、淋しい海べにある「くけど」まで如月を探しに行く。
巡る
私はパーワースポット巡りに参加して山の頂めざして上っている。倒れて頭を打ったが、みんなで介抱をしてくれて、上り続けている。
私は結婚をして浮気をされて離婚をして、シングルマザーで子育てをしてきた。今子どもはいない、どうしたのか、頭を打ったせいかはっきりしないことばかり。
頂上に着いた、白い朝の光に包まれていく。