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ダイヤモンドダスト



南木佳士

1988年の受賞作でずいぶん前の作品だ。当時の選考委員水上勉氏の「最後の水車づくりにまとめられてゆく人の世の生のはなやぎというか、はかなさというか、病床描写は簡にして生彩を放っていた」という評がある。

映画で、私のベスト10に入る「阿弥陀堂だより」を書いた人。
映画の中の美しい風景と、暖かい物語をいつも思い出す。それなのに、随分前に話題になったこの本を読んでなかった。

100回記念(昭和63年/1988年下半期)の時の芥川賞受賞作。1989年の著者の近影があったが若々しい、最近は病気も快癒されて書かれたエッセイを読んだ。
日常勤務している信州の病院が舞台で、4つの短編に別れている。短編といってもただのショートストーリーではなく読み応えがある。

 冬への順応 
タイ・カンボジアの国境近くで医療活動に参加して帰った僕は、日本の気候に慣れないでいる。命まで乾いたような難民キャンプの暮らしと、帰国してからの、電話の鳴り止まない病院。命の現場の違いに慣れないで、休日は鮎つりにのめりこんでいた。そこに予備校時代に東京で再会した女性が、転院してくる。末期の肺がんだった。
 
以前同じチームだった同僚が主治医だったが、手の施しようがないという。
彼女も静かにそれを受け入れていたが、時々病室を覗いて昔話をしたりした。恵まれた育ちで憧れだった人はもうわずかに残る命の灯の前で無力だった。山の診療所で働きたいと話したことがあったが、ちょうど、空いた診療所があり、そこに通うことになった。
そして暫くして彼女が亡くなった。ぼくは、厚く張った氷を割ってワカサギを釣っていて、疲れてコタツに入っていたとき電話で彼女の死の知らせを聞いた。

 長い影
カンボジア医療団の忘年会が開かれた。風呂に入っていたところに痩せた女が入ってきて、洗い場で烈しく嘔吐した。僕は汚れを洗い流し、身体にタオルをかけて寝かしておいた。
女は看護婦で参加していた。献身的に働き、妻を亡くした若い男の乳児の世話をしていた。
帰国前に男と乳児を連れて帰りたいと大使館に申請したが却下された。
帰国する日、彼女は淡々と引き継ぎをして、バスに乗った。男と赤ん坊は身を反らせて泣いていた。

申し送り終えた女に、タケオさんは思い切って聞いてみた。なぜそんなに意地を張ってきたのか、と。女は下を向いたまま、ひとそれぞれに性格がちがうように、責任のとり方にもちがいがある、という意味のことを、きつい東北なまりで切れ切れにつぶやきながら、ジープに乗り込んでいった。
タケオさんのまわりに集まって手を振っている、若いクメール人の医療助手の一人が、彼女ほど病棟の仕事をきちんとやった看護婦はいなかった。と怒ったように言った。それにつられて他の一人が涙声で言った。難民に対する同情をおさえることと、なにもしないことが、おなじことだと錯覚していた日本の医者や看護婦たちに、なぜひと一倍多くのことをしてくれた彼女を責める権利があるのだ、と。

忘年会が明けた翌日、彼女はさばさばと東京駅から新幹線に乗って帰っていった。

 ワカサギを釣る
種村はカンボジアで知り合ったミンがきたので、ワカサギを釣りに行った。ミンは厚い氷の上を恐る恐る歩いて氷に穴を開けた。
ワカサギは大漁だったがミンは初めての寒さを経験した。
ミンは戦前のプノンペンでは良家の息子だった、しかし、新生の政府は家族を連れ去り、彼は収容された。仲間と逃亡をはかりミンは生き延びた。彼の難民用の家に招かれた種村は信州の話をした。
帰国してミンが妻子とともに大阪の看護士学校にいることを知った。
ミンは釣ったワカサギを湖の氷とともに袋に入れて帰っていった。

 ダイアモンドダスト
看護士の和夫は帰り道で、幼馴染の悦子がテニスのコーチをしているのに気づく。彼女はカリフォルニアに住んでいた。
和夫の父は小さな電車を運転していた。
別荘地から山の下を回って、温泉街までゆっくりゆっくり走る電車だった。
廃線になり父は仕事をやめたが、持っていた山が別荘の開発業者に売れ、生活の心配はなかった。
母は早く死に、妻もなくなって一人息子と男ばかりの三人家族だった。
家事は器用な父がした。
和夫は医者になるつもりだったが父が頭を打ち、倒れたので看護士になった。
半身が不自由になってはいたが父はまだ家のことができた。だがまた倒れ入院する。
そこになぜか悦子が家事を手伝いに来てくれた。
病院にマイク・チャンドラーという宣教師らしくない宣教師が入院してくる。彼はベトナムでファントムに乗っていたという。元気があるときはそのプラモデルを作っていた。患者が増え父と同室になった。彼は不思議に父と気があった。
父が退院して、水車を作ると言い出した、身体は動かないが頭の中に設計図が出来ていて、悦子を含め、和夫も馬鹿にしていた水車作りに興味がわいた。
低い河から水をくみ上げ庭に水を張る、そんな水車が完成した。
しかし、水車がきしみながら回り続ける頃、庭で父は死んだ。
マイクから遭いたいと電話が来て、エンジントラブルで海に向かって脱出したときの話をした。

「誰かこの星たちの位置をアレンジした人がいる。私はそのとき確信したのです。私の心はとても平和でした。その人の胸に抱かれて、星たちとおなじ規則でアレンジされている自分を見出して、心の底から安心したのです。今、星を見ていて、あのときの安らかな気持ちを想い出したかったのです。誰かに話すことで想い出したかったのです」

「検査の技術が進歩して、癌患者の予後が正確にわかるのに、治療が追いついていない。このアンバランスはきっと、星のアレンジをしている人が、自分勝手に死さえも制御できると思い上がった人間に課している試練なのだと思います、今、とても素直な気持ちでそう思う・・・・・思いたいのです」

この4編。作者はあとがきで、作品は硬すぎる文体しか持たない男の自己検証の作業、といっている。
硬すぎる文体、かえってそれが私には読みやすく、きちんと整ったこの小説に感動できた。
叙情に傾かない言葉で語った作品には力があり、人の生と死について、医療の現場からの真摯なレポートのようだった。
静かで落ち着いた文体の中に重い現実と、必ず訪れる死に対する作者の思いが深くにじんで胸が熱くなる。

ミステリを推理しながら読むことも楽しいが、文学作品はすっぽり浸ってしまえるよさがある。


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