ヌレエフとしてはこの犬を飼うというつもりはなかったが、ニューヨークで開かれたトルーマン・カポーティのパーティで、酔いつぶれたカポーティと犬が一枚の皿でシャンペンらしいものを飲んでいた。出会いはそういうことで、犬はヌレエフがフランス語で話しかけると反応をした。
カポーティの犬ではないという。誰かが置いていったのだ、君だろう、とカポーティがいう。
ヌレエフか帰ろうとしたらイヌがどこまでもついてきて、彼の犬になった。
その後カポーティは半年でなくなり、ヌレエフは8年半、「オブローモフ」はその後15年生きた。
ヌレエフと共にニューヨークやパリで暮らし、彼が旅に出ると友人が世話をした。
バレエの稽古場にもついていった。ヌレエフは病気になり次第に衰弱して、犬にあれこれと話しかけた。
ヌレエフが亡くなった後、腫れ上がったような目をした「オブローモフ」を見つけた。
ヌレエフはオルガ・ピロシュコヴァに遺産を贈り犬を託していた、オルガは彼をあがめ彼と犬の世話をした。その後「オブローモフ」は彼女のアパルトマンで過ごした。
オブローモフは年取って、余り眠れなくなった。バルコニーでちょっとジャンプしてみた。練習すると少しずつ上達した。練習場で何度も見たことをやってみたかった。
オルガ・ピロシュコヴァは偶然優雅に踊る犬を見たことはだれにも話さなかった。
ヌレエフの誕生日にオルガ・ピロシュコヴァはお墓の前で踊って見せて欲しいといった。老犬は理解し、両足を着けて跳躍するガブリオーレでお墓を飛び越えた。
今ヌレエフの足元に眠っている。
ミヒャエル・ゾーヴァは、エルケ・ハイデンライヒのこの異例とも言える友情物語が持つおかしさと悲しさを、その文章にぴったりのイラストで際立たせている。
ヌレエフは、子供の頃からバレエを踊り続けている友人の熱狂的な話で知った。バレエの知識は今でもこの友人の受け売りで、公演の前には解説を聞くこともある。
高く軽やかに高く高く跳ぶヌレエフ、鍛えられた技でボレロを踊る映画も見た、彼の怠惰な犬と、彼に関わった人たちの余り知られないエピソードを読むのは楽しかった。
「オブローモフ」も読み返してみたい、そのうち。