この「パーク・ライフ」を読んでから再読すると、とんだ勘違いで、浅い読み手だったと反省した。
これは日常生活の1シーンを切り取ったようないい話だった。
取り立てて驚くようなこともなく、公園でふと知り合ったサラリーマンと、何処かに勤めているが(尋ねもしない)自然体の女性が、顔見知りになり、時間を共有する。そんな話だった。
初めて出会った時、
僕はドアに凭れたまま、ガラス窓の向こうに見える日本臓器ネットワークの広告をぼんやり眺めていた。広告には『死んでからも生き続けるものがあります。それはあなたの意思です』と書かれてあった。(略)
「ちょっとあれ見て下さいよ。なんかぞっとしませんか」
ガラス窓に指を押し当て、僕は背後に立つ見知らぬ女性に笑みを向けてしまった。
女性がなにごともないようにこたえてくれた。そいうことで知りあって、いつも行く日比谷公園のベンチで再会する。それから時々会っては、ベンチに座って、持ってきたスタバのコーヒーを飲む。いつも気球を上げている老人に話しかけたり、人体解剖図に興味を持ったときは、二人で町の店に入り人体模型を手にとって見たりする。
写真展に誘われると、その写真は彼女の育った所の風景だった。それまで聞きもしなかったが秋田の角館の人だとわかる。
平凡なような、ちょっと変わったような淡々とした男女の付き合いがある、公園の中の出来事や、公園の中の出会いが書いてある。
それでどうなったかと言うものでもなく、自由で行動的な彼女は時間が来ると「よし決めた」などとと言って人混みの中に消えていくような人だ。なんだかいい。ちょっと普通でないようだけどそんなこともあるかも知れない、そんなさっぱりした人もいるかもしれない。そんな時間がとても奥行きがある表現で書かれている。静かに読むにはいい話だった。
もう一編、「frowers」がある。
この話は、また違った奇妙な重みがある。
墓石屋の仕事を辞めて上京して、水の配達をする会社に入る。そこで「元旦」と言う名前の水配達人の助手になる。
社長は2代目でわがまま放題、常に部下の一人を目の敵にして叱りつけている。部下も弱みがあるので見苦しく従っている。
「元旦」は社長の妻と不倫中なのだが、そこに呼びつけられたりする。
だが、無骨な「元旦」が活花をしていて床に飾るのが抵抗なく感じられたりもする。暑い暑い日、疲れ切った運転手の男たちが、混み合ったシャワーで汗を流している。外から社長が、中にいる部下を怒鳴り始める。もう、汗の匂いと疲れた男たちと、怒鳴り声と、それをやめさせようと土下座する「元旦」と、たまらない様子が、息苦しい。暮らしの中で様々なことが起きる。短い中に暑い夏の、人のつながりが書き込まれていく。
そして突然「元旦」がやめ、それでも日が過ぎ、田舎を出る時結婚した女優の卵の妻と相変わらずの暮らしを続けている。「元旦」から年賀状が届く。
謹賀新年 元旦
たぶんこの「元旦」というのは、自分の名前のつもりなのだろうと、空白の多いその紙面を眺めた。どこかで元気にしているわけだ。
毎日重い墓石を運んでいるとふわっと飛んでみたくなる。
夕立に濡れながら歩き回って花の無い墓石を探し、泥が跳ねた足元を見て「東京へいってみようかなぁ」と思う。
心の動きの小さなゆれが伝わってくる。平凡な日常がふと遠くに思われたり、何か変化があればいいと思ったり、それで暮らしを変えてみても変わらない日々が続いていくのだが。