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ムーン・パレス



ポール・オースター

血縁とは磁石のように引き合い反発するものを言うのだろうか。オースターの書く孤独は家族の中からも始まる。

「それは人類がはじめて月を歩いた夏だった」という一文から始まり、不思議ないきさつをマーコは語る。
舞台のニューヨークがいい。人(マーコでさえ)はその中の一粒の砂のような存在でしかない、群集の街である。

マーコは18歳でニューヨークに出てきた。母は11歳の時、雪の日にトラックに轢かれて亡くなっていた。父は最初から居なかった。 
コロンビア大学の一年生の時に、寮からアパートに引っ越し、シカゴにいた伯父が箱に入った千冊以上もある本を餞別にくれた。夜になるとアパートの細長い窓から中華料理屋「ムーンパレス」という看板のネオンが見えた。

伯父はクラリネット吹きだった、各地で仕事をしていた伯父が来て同居するようになったが、気持ちの落ち着かない人で、何かを始めると次々に頭に夢想や幻想が現れ、それに導かれて動くので常に落ち着かない暮らしをしていた。

母の事故後、トラック会社の補償金と伯父の援助で暮らせたが、伯父が仕事先で亡くなった、もらった本は伯父の気分屋どおり脈絡もなく読んだ順に箱に入っていて部屋に残った。生活が逼迫してきた。ひとつの箱を開けては、そのまま捨てるわけにいかず伯父懐かしさもあって開けて読んでいった。済んだ分から売る。大学は伯父の願いだったのでやっと卒業する。

部屋に積み上げられた箱について

伯父さんの過去に足を踏み入れるたびに、現実社会において物質的な変化がもたらされた。それらの変化の具体的な結果はいつも僕も目前にあった。逃れるすべはなかった。残存する箱の数と、消滅した箱の数の和は、つねに一定なのだ。部屋の中を見回すだけで、事態は否応なしに目に入ってきた。部屋は僕が置かれた状況を測定する機器のようなものだった。僕というものがどれだけ残っていて、どれだけなくなってしまったか。ぼくはそうした変容の犯人にして目撃者であり、たった一人の劇場における観客だった。自分の四肢が切断されるのを、僕はつぶさに見届けることができた。自分自身が消えて行く過程に、逐一立ち会うことが出来た

こうして売る本も尽きアパートを出て公園をさまよい、風邪をひいて死の幻が見えてきたとき、探しに来た友人のジンマーと中国人キティーに助けられる。

ジンマーも貧しい研究者で、 動けるようになってジンマーがくれた「パンセ」のペーパーバックだけを持って職を探しアパートを出た、奇妙な老人の付き添いになる。

ここから物語は実に興味深い展開になる。下肢の動かない90を過ぎた枯れたような老人(エフェング)は、家政婦に言わせれば「あの脳みその中はいつも何かぐつぐつ煮えていて確かにちょっとおかしいひと」だそうだ。

変り種の導師としてのエフィング。老人ながら世界の神秘へと招きいれようとするエフィング、エキセントリックな先達、身勝手と傲慢、意地悪爺さん、燃え尽きた瘋癲男、すさまじい罵倒の言葉。そんな老人を知りつつ半ば惹かれ、自分をおさえながらこの仕事を最後までやりぬいた。老人の命令で告別用に一代記の聞き書きをはじめた。彼の話はまるで「ほら吹き男爵の冒険」かと思えるほど、虚実の曖昧な波乱万丈の物語だった。盗人の上前をはね莫大な資金を得たと言うことで、それを基に今も暮らしている。今を見ればそういう事実もあったかもしれない。
だが、人間離れした老人もどこかにいる息子を探したいと人並みの感情がわいてきた。

これも仕事だといわれ、探し当てた息子は、小さな大学で教える教授だったが、それとなく近づいて彼と親しくなった。
彼は物語を書いていると言う。そして「ケプラーの血」という題名の原稿を送ってきた。居なくなった父から始まる不思議な血縁をテーマにしたSFで自伝の様なものだった。彼が小さな大学に奉職するまでの時間はその自伝ともつかない物語にこめられていた。

彼と親しくなってからは、まるでさまざまな偶然が運命のように襲いかかる、それはあるいは必然的に知るべくして知ることになったマーコに関わる物語であり、マーコに覆いかぶさってきた不意打ちの怒涛のような悲喜劇といえるかもしれない。

人の繋がりが全編を通して暗く哀しく、オースターの作品を読んでいると、この入れ子のように構築された物語は彼が好んで使う形式であり、主人公が貧困のどん底に落ちてさ迷い歩き、虚構と現実が曖昧なまま人生を捉えると、そこには単に生きていることの孤独と不思議だけが残る。繰り返し使われているこういったストーリーは作者の体験がベースになっていることを後で知った。

ジンマーがいう。

「君は夢想家だからなぁ」と彼は言った。「君の心は月にいってしまっておる。たぶんこれからもずっとそうだろう。きみには野心と言うものがないし、金にもまるで興味がない。芸術に入れ込むには哲学的過ぎるどうしたものかなぁ」

しかしマーコは不思議な偶然は神秘的かもしれないが、何らかの必然が働くこともあると知ってしまった。
彼はユタから離れ、また独り徒歩の旅に出て行く。

次第に不思議な世界に連れ去られるようで、一気に読んだが興味深く面白かった。

孤独の発明
ガラスの街
幽霊たち
鍵のかかった部屋
最後の物たちの国で
偶然の音楽
ムーンパレス
ティンブクトゥ


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