サイトをSSL化しました。セキュリティアップ!

メモリー・キーパーの娘



キム・エドワーズ

久しぶりに「物語」らしい本を読んだ。時間とともに流れていく家庭や周りの人々の暮らし、人と人との繋がり、喜び苦しみが次第に過去の歴史になっていくところ。いい話だった。

こういう物語があり、長くこういう読書の楽しみ方をしてきたのだったと思いながら、落ち着いた時間の中で、登場人物たちの喜怒哀楽とともに過ごした。
大きく言えば「人間愛」の物語であり、そして、有名な言葉を引くまでもなく、不幸は自分だけの思い込みでもあるそれぞれの「愛の形」で作られているのだ、ということが今更のように実感される。生きるということの本質は、愛なのかエゴなのか、酷なことに、時はそれを鮮明にする前に流れ去ることも多い。

裏表紙より

1964年のある大雪の夜。医師ディヴィッドと妻ノラは男女の双子に恵まれるが、女児はダウン症だった。ディヴィッドは妻を悲しませたくないがために、とっさに娘を人手に渡し、妻には死産だったと偽るのだったが・・・・。
一見裕福で幸せそうな夫婦、娘を預かった孤独な女、別々に育てられる兄妹―――たった一つの嘘によって、それぞれの人生がもつれた糸のように複雑に絡み合っていく。

ディヴィッドは整形外科医だったが、雪のため産科医が事故に遭い、切羽詰った妻の出産に彼が子どもを取り上げることになった。最初に生まれたのは元気な男児だった、しかしあとの子どもは女の子で、一見してすぐにダウン症の明確な兆候を確認した。さまざまな思いが錯綜する中で、仕事場で、付き添いの看護師の好意を感じていた、それを利用した形で、そのまま施設に預けに行くように頼む。
そこから話が始まる。

看護師(キャロライン)は離れた施設に車を飛ばすが、中に入った途端、冷え冷えとした空気、放置されたような荒れた建物におびえた。彼女はついに自分の手にか弱い嬰児を抱きしめて帰宅し、育てることにする。

一方ディヴィッドは罪の意識、妻のなくした子に対する愛情の板ばさみになり、辛い日常から逃れるために苦しんでいた。
妻も息子の成長に癒されながらも、顔を見ることも出来ずに亡くした娘の面影を思い続けていた。
夫婦の間は子どもの話が始まるたびに次第に冷えていった。

そんな中でも,なにも知らない息子は、這い、歩き、学校に通い、成長していった。

男の子(ポール)は才能を認められ、進路を好きなギタリストになることに決めていたが、ディヴィッドは堅実な仕事について欲しかった。

彼には貧しく育った過去があり、豊かな今の生活を受け入れて、この暮らしを息子にも理解して欲しかった。

だが、ポールはジュリアードに入り自分の道を進むようになる。

看護師に育てられた娘フィービも成長した。
ダウン症から来る心臓疾患も、平均して見られる短命という症例も彼女は無事に潜り抜けてきた。
キャロラインたち、ダウン症の子を持つ人々の輪は、一般教育を受ける権利を獲得し、フィービは多少緩慢ではあるが不自由なく話し書くことが出来た。

ディヴィッドはダウン症の姉を持っていたが早くに亡くなっていた。その当時の家族写真があった。それは彼が過去を思いだし、記憶をとどめる大切な一枚だった。彼は娘が同じ運命を辿るのを恐れたのだった。

彼は趣味の写真にのめりこみ、いつか世間からも評価されるようになった。

キャロラインはフィービの成長記録の写真を入れた手紙をディヴィッドに送り続けていたが。
彼は一度もフィービに会うことはなかった。

妻ノラは妹と興した旅行会社で成功し、忙しい毎日を送るようになった。

ディヴィッドは退職して、診療所を開き貧富を超えて多くの人々の病を診ていた。

社会人として独立した妻と、社会を背負った父親の気持ち、相容れない部分が深い溝を作っていく。
そして二人の子供の成長と、25年という年月がいつの間にか全てのものを巻き込んで流れて行く。

このようなテーマは読む人全てに受け入れられるものなのだろうか。大きなお世話かもしれないが。
子どもを持つこと育てること、登場人物の哀しい背景とも相まってはいるが、時に癒されていく姿が悲しく暖かく後味のいい作品だった。


お気に入り度:★★★★★
掲載日: