中世芸能の研究者の教授、助教授夫妻、研究所助手(講師)、能画家の女性、面打師の男、能画家の兄は能装束師だが都合により不参加、ビデオ撮影を頼まれた若者、同級生の姉、総勢8人が佐渡ツアーに参加する。
佐渡では現在もしばしば能演は行われていることで、世阿弥の直伝という久世流の兄弟はツアーに合わせて「老松」と「田村」の曲を予定した。
カメラマンを頼まれた中谷裕也は能のことは全く不案内だったが憧れの能画家北野華子と、友人道子の魅力的な姉令子が参加するというので、アルバイトを兼ねて参加する。
当日になって眠気をもようすような静かな曲「老松」が終わり、前シテの「童子」の後、後シテの登場になった。勇壮な舞と豪華な装束の「田村」を舞い始めたが、突然真剣を振りかざしたまま階を走り下り、見物の一人を狙って切りかかった
裕也はカメラを投げ出して逃げたが、一太刀で殺されたのは画家の華子だった。犯人は面をつけたまま裏口に向かい、装束を脱ぎ捨てて逃走した。楽屋には三男で前シテを演じた千冬が縛られ昏倒していた。
犯人の行方は知れず、その上夜には体が弱っていた助教授夫人が死んだ。
裕也は憧れていた華子の死が割り切れず、残って調べることにする。
先に着いていた二人の女性は博物館で文献を閲覧して何か新しい学説を見つけたと言っていたらしい。
久世家の長兄の妻は、新潟で教師をしている次男のかっての恋人だった。
久世家の三人の兄弟は子供の頃から修行して皆「田村」は舞える。囃子方も謡方でも舞えるものがいる、犯人の確定は難しいが、犯人は面をつけたまま襲い直後に逃走して行方がしれない。ついに行方不明のまま車で崖から落ちたことになった。
助教授の野淵夫妻は仲が悪く、夫は令子を手に入れ父の国立大教授によって将来の夢を叶えたいと思っていたことで、夫人が邪魔になっていたのかもしれない、しかし心臓麻痺を殺人だとするには証拠がない。
華子は間違って殺されたのではないか、能面は視野が狭い、その上おびえた人たちは逃げ惑っていた。
華子の兄が欠席したのは気に入った女を連れて旅行中だった。奔放な兄にこういうことはよくあるらしい。だが彼は装束師ではあるが趣味は医学書を読むことでその方面には詳しい。
世阿弥の佐渡流刑は真実だろうか。歴史学者の研究心と、能好きの探求心は、多方面に広がっていく。ついに歴史書にも決着がつき、一つの手がかりから、まだ発見されていない連続殺人も見えてきた。
「能」を題材にしてはいるが、派手な「田村」を使ったのは面白い。ここで殺人の実行は難しそうだがそれを言えば殺人事件は困難な状況でこそ起きる、兄弟の絆にもふれつつ悲劇が終わった。
「金島書」については、「古文書」や「風土記「古今集」も調べている。メインストーリーに絡むには少し煩雑な感じもするが、手際よく決着をつけたのはさすがで面白かった。