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夜叉ケ池・天守物語 (1984年)



泉鏡花

戯曲という形式なので舞台のきらびやかさは想像に難くない。鏡花の世界に痺れる。

他人のことはほとんど分からない。たいてい人柄を読み間違う。まぁこういう人だろうと想像して付き合っているけれど。

その点物語はいい。登場人物に入れ込んでしまっても遠慮しなくていい。それがいくら浮世離れをしていても、世界が違っても。なんとなく作者もどういう人かおいおい見当が付いてくる。どんな生活をしている人だか知らなくても、肝心で勝手な好きか嫌いかという所が判ってくればいい。
読書というのは本を通した距離がある分付きあうのはさして難しくないし、何を要求されるのでもない。

勝手な前置きをして、さて泉鏡花、三冊目になる。話題に上らせるには相手を選ぶが、好きなものは好きで時々読みたくなる。

「夜叉ケ池」「天守物語」はともに妖怪の世界だけれど、妖怪に至っても人間として生きていた過去がある。
時空の隔たりのある妖怪はそれでも人の世界に住み続けている。
人間だったころの苦しみを終えてからも、やはり妖怪の世界も軽々しく住みやすいものではない。

幻想的な言葉でつづってある、芳香を放つような美文だ。妖怪の世界はこの世にない美しいものにあふれている。
「天守物語」では、秋の花の名前が付いた腰元たちが白鷺城の天守、五重の欄干から五色の釣り糸を垂らして花を釣っている。

桔梗 旦那様の御前に、丁ど活けるのがございませんから、皆でとって差し上げようと存じまして、花を……あの、秋草を釣りますのでございますよ。
 が、つきましては、念のために伺いますが、お用いになります。……餌の儀でござんすがね。
撫子 はい、それは白露でございますわ。
 千草八千草秋草が、それはそれは、今頃は、露を沢山(たんと)欲しがるのでございますよ。刻限も七つ時、まだ夕露の夜露もないのでございますもの。(隣を視る)御覧なさいまし、女郎花さんは、もう、あんなにお釣りなさいました。

人間世界の悲恋がやがて死をまたぐと人が怪異に化け、世界を異にするのだけれど、「夜叉ケ池」に住む白雪姫も、現世では雨乞いの人身御供にされて池に沈められた過去がある。恋人に会いたくても会えない身の上で、村人を洪水から守っている。人間界の百合と晃という恋人たちも掟に縛られている。

「天守物語」も妖怪が恋する男と死ぬ、鏡花の物語は人と妖怪という時空の隔てはあってもやはり情や掟に縛られている、その先には何があるのか、重いけれど生き抜かねばならない、自由でいて作り物のような妖怪の世界を描いて、他方で人間を描く、生きていくということを求めた彼の書きたい一種の命題が見えるように思われる。


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