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家守綺譚



梨木香歩

友人宅の留守を頼まれた、住んでみると古い庭には樹や草花の陰に不思議な動物や花の精のようなものが棲んでいた。

行方不明になった友人宅の家守をするまだ新米の文士、綿貫征四郎の著述をまとめたもの。

という形で、古い家と庭の木々、草花や狐、狸、隣の面倒見のいいおばさん、山のお寺の和尚さん、迷い込んで住み着いた犬のゴローなどとの交わり、はたまた床の掛け軸から時々亡友が訪ねてきたりするのを、暖かく記してある。

征四郎のまわりで起きる小さな不思議な出来事。サルスベリに小猿がちょこんと座っていたり、池で河童が脱皮していたり、白木蓮の蕾がタツノオトシゴを身籠っていたりする。
土間に生えたカラスウリが、天窓の光を受けて天井を覆うほど茂り、レースのような花が咲き、その中に干からびたヤモリがいた、征四郎もヤモリになった夢を見た。

筍が食べたくなって山を散策していて、貝母の精のような人を見かける。あなたは何者ですか、と聞くと私は百合ですと答えた。

梨木さんは 筍の名産地、琵琶湖疏水の流れる山の麓に住んでいるのだろうか。

貝母は貝母百合ともいう。奈良の春日大社神苑に、春になるとそこここに咲いて、素朴な色で俯いている。
四季を飾る素朴な花にまつわる話が、この世のものでないようでいて、土俗的な郷愁をさそう。ありそうでない、いやあるかもしれない、夢幻と現実の境にたってみるのもよい。

いつの間にか掛け軸の中の風景は雨、その向こうからボートが一艘近づいてくる。・・・高堂であった。

――どうした高堂。
私は思わず声をかけた。
――逝ってしまったのではなかったのか。
――なに、雨に濡れて漕いできたのだ。
と言っては時々現れる。

――サルスベリのやつが、おまえに懸想している。
――・・・・ふむ。

実は思い当たることがある、サルスベリの名誉のためにあまり言葉にしたくはないが。
――木に惚れられたのは初めてだ。

――どうしたらいいのだ。
――どうしたいのだ。

――迂闊だったな。
高堂は明らかに面白がっていた。
―― ああ見えて、存外話し好きのやつだから、ときどき本でも読んでやることだな。そのうちに熱もさめるだろう。
――なるほど。

それから午後はサルスベリの根方に座り、本を読んでやる。
あまり撫でさするのはやめた。サルスベリも最初は不満げであったが、次第に本にのめり込むのが分かる。サルスベリにも好みがあって、好きな作家の本の時は葉っぱの傾斜度が違うようだ。ちなみに私の作品を読み聞かせたら、幹全体を震わせるようにして喜ぶ、可愛いと思う。出版書肆からはまともに相手にされないが、サルスベリは腐らず細々とでも続けるように、といってくれている。それで時々魚をおろしたときの内臓などを根方に埋めてやっている。

そんなことやこんなことが起きても、征四郎の日常はゆったり悠々と流れて行く。たとえ筆が進まず、筆?今はペンではないか?と思うことはあっても、注文の原稿は、周りの出来事を話の種にして、出来上がる。

原稿取りの山内が、部屋の隅の桜の花びらの吹き溜まりに気づく。

――おや、これは。
ああ、と云いかけて、こいつに桜鬼などと云って通じるのかと危ぶみながらも、
――今朝方、暇乞いをすると云って見知らぬ女人が座った。近所のおかみさんの話しでは桜鬼だというんだが、どうしても鬼のようには思われん。小鬼なら庭にもいるが、到底似ても似つかぬ者なのだ。
山内は一寸呆れた、という顔をして、一旦息を大きく吸い、
――小鬼は子鬼にあらずして、小鬼という立派な種の名前なのです。

云々と、雄弁に語りだす。征四郎はたじろぐ思いで、何故、そんなに詳しいんだ。
――常識ですよ。

ああ、類は友を呼ぶか、なら私も同類にしてもらえるかな、とつい嬉しくなる。
野の花や、季節の風物のなんとも言えない香りを漂わせる本であった。


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