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幻影の書



ポールオースター

この「幻影の書」はジンマー中心のストーリーであったもの、運命であったものの中に、「ヘクター・マン」という喜劇俳優の話(これが二番目の物語)が生活の中に否応なしに入り込んで彼の運命に重なる。

やっと新しいパソコンが使えるようになった。新しいものは便利でいいが、パソコンでも、車でも使い慣れたものがなくなるのは寂しい。
読了本が少し増えたので、忘れないうちに記録しておかないと、とあせるけど。
記憶力は古びてきていてもリカバリできなくて。

「孤独の発明」「鍵のかかった部屋」「偶然の音楽」は若者が辿った運命の陰が色濃くにじんだ、思索的な作品だった。と、一からげには出来ないが。それぞれに印象的な部分は多い。それは先に残したレビューに託すとして、その後何作かの後にこの「幻影の書」が書かれている。

先に読了した「ムーン・パレス」は、詩を散ちりばめたような文章が、物語を創っていく。
そこでは主人公のストーリーの中に、彼の運命に交わる新たな人生の物語りが入り込んでくる形になっている。
その第二、第三の物語の感覚がいつか彼に反映して、より自分を鮮明に浮かび上がらせていく。
という方法を取り入れている。 その作中に入れた第二・第三の物語が、主人公の人生と周辺の人々との時間だけでなく、別な時間(彼にとっては過去だった時間)に別な人生を生きていた人物の時間が、ついに彼に追いつき、じわじわと入り込んで、彼の運命まで(良くも悪くも)狂わせてしまうことになる。
そういった形式が、ここでは顕著になっている。

この「幻影の書」は、ジンマーのストーリーだが、ここで「ヘクター・マン」という喜劇俳優の話(これが二番目の物語)がジンマーの生活に否応なしに入り込んで、彼の運命に重なる。それは実に重く苦しい。ジンマーの苦悩が消化できない。それがますます彼の上に重みを増してくる、そしてヘクターとジンマーが生きていく(または生きてきた)悲しさが、ついには取り返しのつかない狂気にまでつながっていく。
暗い世界だったが、オースターのストーリー性が見事に発揮され、読まなくてはいられなかった。

主人公は「デイヴィット・ジンマー」という。「ムーン・パレス」で瀕死のマーコを探し出す友人だ。
彼とマーコは別れた後、時がたってウォールストリートですれ違い軽く挨拶をして、その後二度と会わなかった。
一度命がけで交差した人生でも、別れてしまえばすれ違っても交わることがない。

暫くしてジンマーは教授になり愛する妻と息子を持つ。だが妻が両親に会いに行く飛行機が落ちて子供と共に亡くなってしまった。どん底のジンマーは自殺を試みたが果たせず、光のない世界をさまよっていた。
時が過ぎ、ふと夜につけたテレビで、サイレント映画でヘクター・マンという、喜劇俳優になるには場違いの美青年が懸命に演技するのを見た、そのナンセンスな俳優とギャクの構成に思わず笑っていた。これが彼の苦悩の消滅の大きな前触れだった。

彼は「ヘクター・マン」をもっと見ることで生きる意味を見つける。へクター・マンが作った古いサイレント映画のフィルムはもう少ししか残っていなかったが、彼は寄贈されたと言う12巻を追って海を渡り「ヘクター・マンの音のない世界」という本を書いた。

そこに美しい客が来る。死の床にあるヘクター・マンからの招待だった。彼は何度も断ったが拳銃で脅され、ついに心の声にあらがってヘクターに会いに行く。

最後の作品を残して失踪したといわれたへクターは生きていて、まさにその生の灯火が消えようとしていた。
ジンマーを迎えに来た女は、ヘクターの使用人兼当時のカメラマンの娘だった。
彼女はヘクターの自伝を書こうとしていた。
ヘクターに会うまでの遠い道のりはヘクターについて話を聞くのに十分だった。

世間から消えた今も、彼はまだ映画を撮っていた。だが完成しても死後24時間以内に彼に関する全てを燃やしてしまうように遺言した。彼は今までの人生で償わなければならない重いものを抱えていた。ジンマーはどうしてもその映画が見たかったが。

ヘクターに会ったために、かれの過去の話が様々に入りこんでくる。それはジンマーや周りの人々まで巻き込んで、ヘクターの死とともに炎になる。

かって希望を持った研究者だったジンマーの、思いもよらない悲劇と、数奇な人生を歩いて来たヘクターのストーリーから、若い時代のオースターが作品に込めた思いが読める。


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