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神去なあなあ日常



三浦しをん

宮崎駿さんが二度読んで、一度目はアニメにしたいと思い、次はやっぱり実写かなと思ったとか。母の故郷に似た林業の村の風景に、次第に馴染んでいく「勇気」を身近に感じた。

日本的な風景の中に、受け継がれてきた山の生活や、変わらない習慣、懐かしい祭りや季節の行事、過疎地に今なお残っている心温まる人のつながりが書かれている。

高校を出たら、まぁ適当にフリーターで食っていこうと思っていた。
名前の勇ましい、平野勇気。卒業後もこうしてだらだら過ごす予定だった。ところが、式が終わった途端、担任に
「おう、平野。先生が就職先をきめてきてやったぞ」
「はぁ?」っつったよ。「なんだそれ、冗談じゃねえよ」

家に帰ると、母親も

「着替えや身の回りの品は、神去村に送っておいたから、みなさんの言うことをよく聞いて、がんばるのよ。あ、これはお父さんから」

と餞別と書いた封筒に3万円が入っていただけで、あれやこれやの脅しもあってすごすご家を後にした。
神去村から屈強な体躯のヨキ(飯田寄喜)が迎えに来ていた。携帯は途中で圏外になるは、山の奥へ奥へとトラックは走り続けるし。杉山は頂に薄く雪をかぶり、うっそうと茂っているし。
そんな神去村は、人が行き会っても挨拶は「なあなあ」で「なあなあ、だからなあなあ」で通じるようなのんびりした、のどかな村だった。
そこで山仕事を仕込まれ、逃げ出したが連れ戻され、観念して、一年たった。
掌の豆が厚くなるころには、気心の知れたグループの一員になっていた。
冬の枝打ちがあり、整地したあとには植林が、伐採、運び出し。山の木々育てるこまごまとした手順に、戸惑い叱咤され、助けられて育っていく「勇気」の日常が彼の言葉で綴られていく。

林業を今も受け継いで、守っている人たちの心意気や、職人芸を極めた高い木登り、枝打ちを仕込まれ、チェンソーの扱いにもなれて、山の持つ魅力に捕らえられていく。

「勇気」の心身ともに、人間として豊かに育っていくさまが、過去も未来もあまり変わりない、ゆったりとした「なあなあ」生活が見えてくる。
山の匂いや木々のざわめき、季節の花や、秋の実の輝くような美しさ。女が料理を作り男は飲んで踊る祭りの楽しさもある。
時には大きな山鳴りを聞き、山火事を消し止める、小さな出来事に「勇気」は生きていることが肌で感じられ、山の呼吸が彼のものになっていくのがよくわかる。

45年ぶりに伐りだす大木を、そりのように並べた木材の上を山頂から滑りおろす。それに乗って恐怖の山くだりを体験して「勇気」は仲間に認められる。このダイナミックな描写が盛り上がって、読んでいても心が躍る。
登場人物もいい。年寄りも味がある。Uターンした美人の教師は親方の妹で花を添えている。
険しい山道をモトクロス並みにバイクをのりまわし、勇気を鼻の先であしらっていたが、一年で随分態度も和らいだ、希望があるかもしれない。

まだまだ神去村のこと、ここに住むひとたちのこと、山のことを知りたいって思うんだ。
 たしかなのは神去村はいままでもこれからも、変わらずここにあるっていうことだ。
神去村の住人は「なあなあ」「なあなあ」っていいながら、山と川と木に包まれて毎日を過ごしている、虫や鳥や獣や神様、神去村に居るすべての生き物と同じように、楽しく素っ頓狂にね。
 気が向いたら神去村に立ち寄ってくれ。いつでも大歓迎だ

この最後の言葉で「勇気」はほとんど神去村に溶け込んでしまったようだ。

どうでもいいことだが、私の先祖につながる人たちは、四国山脈で木を育てる林業と家庭用の野菜を育てて生活をしてきた。私が暮らした頃はまだ昔の山々の風景が残っていた。
枝打ちは出稼ぎの専門家を雇っていたそうだが、幼いころ 山は途中までは開墾されていて、その上は雑木林、それから尾根までは杉が植えられていた。
遠く続く峰々は、木の緑が模様を描き、春はこぶしの白で始まり山桜の薄いピンクが混じり夏は赤い山つつじ、秋は谷を紅葉が染めた。

昨今は、高価になった国内産の木材の販路は安い外材に代わり、家の構造も大きな木材はあまり使われない。天井に大きな梁のあった建物は今では古民家とよばれるようなった。床柱も見えるところだけに銘木を模した貼物も多い。

この本は、山に帰れと言うのではなく自然と一体になることから学んだ彼なりの体験談である。
読んでいるともう忘れかけていた深い山への畏れや、山の匂いやふかふかした落ち葉のことなど、ふるさとの自然に帰った感じがした。


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