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茜さす〈上〉



永井路子

今どきの若い女性が、明日香に憧れて発掘調査に参加する。お嬢様育ちのなつみがそこで成長していく。遺跡を掘り進んでいくにつれ、時代の波と戦った歴史の影の人々が永井さんの筆で爽やかな息吹とともに蘇る。

「茜さす」(上下)

女子大で国文学を専攻しているなつみは、岡崎助教授に指導されるゼミで額田王の発表をする。
「あかねさす」は「むらさき」の枕詞か。むらさき草なら白い花が咲く、違った解釈はないのか、と教授に質問されなつみは言葉につまり、考えた結果、卒論は「枕詞」にする。

無事卒業はしたが二度入社試験で落ち、おっとりした良家育ちのなつみはやっと就職戦戦に遅れたことを知る。叔母の紹介で極小の下請けの書籍企画会社に入るが、新興の、女ばかりの小さな職場で女社長はわがままなワンマン、放漫経営が続いてついに倒産。ここで女たちに揉まれ社会の厳しさを少し知る。

卒業前の休暇で友だちと明日香を旅して偶然発掘現場を見る。遺跡をじかに見たことで古代を身近に感じて衝撃を受ける、明日香に生きた人々、中でも鸕野讃良皇女(後の持統天皇)に強く惹かれる。

職がなくなってから初めて、明日香の地を踏み自分の生きる場を見つけたように感じる。再度明日香を訪ね、発掘作業中の研究員にアルバイトを頼み込み、無理やりもぐりこんで働き始める。発掘という仕事は甘いものではなかったが、このあたり、思いつめ実行に移す気力は、社会人になって鍛えられた強さかもしれないし、なつみの熱中度の強さが運命を引き寄せた気がしてつい応援。

粗末な小屋を借り、部屋中に広げた地図をしらべ、持統天皇の系図を見、そして、天智・天武時代へと思いが深まる。
流れとしてついに壬申の乱に行き着く。

研究員たちと吉野から美濃まで、大海人皇子軍の跡を歩き、書物の中の出来事を実体験する。その間に起きた争いや、王位継承をめぐる勢力の移り変わり、複雑な血縁関係で作られた皇室の歴史。中で生き抜くための智恵。全てが遺跡の中から時を隔てて肌に感じられる。彼女は祖父を殺され父母が死に、13歳で大海人皇子の后になる。姉の大田皇女も同じ大海人皇子の后になったが一足早く大津皇子を生む。8年後天智天皇が病み、可愛がっていた大友皇子が次の天皇になるという。

早々に大海人皇子は紛争から逃げるように出家していたが、一族を連れ吉野宮に入った。すぐに壬申の内乱が起こった。鸕野讃良皇女も時に輿に乗り、急坂は輿を下りて歩いてともに吉野に入る。額田王と天智の子の十市皇女と、大友皇子の間に子供がいた。大友が天皇になれば十市皇女が皇后になる。鸕野讃良皇女と女たちの戦いが、煌びやかな暮らしの底には渦巻いていた。

援軍も多く大海人皇子軍の勝利で天武天皇が誕生する。

研究員になり明日香の粗末な民宿におちついたなつみは、ふと知り合った泉という紳士に心を惹かれる。彼の誘いに乗りそうになるが、現在泉とは距離が離れているところに、粗野で見かけもよくない梶浦の思いがけず深い知識と無骨な優しさに気が付き親しみを感じたりもする。

こうして、古代、明日香の地に生きた人々の歴史と、なつみの若い女としての生き方や、友人たちの選び取った人生にも触れ現代の若い世代の事情も絡めて話が進んでいく。
血のつながらない伯父と結婚した叔母のキャリアウーマンらしい都会的な生活も颯爽としている、だが稲淵の古い民宿に移り8畳の部屋いっぱいに持統天皇ゆかりの地の地図を広げて、古代史の中に生きようとする、なつみの生き方は溌溂としている。

これが書かれた頃を今読むと、なつみを取り巻く男たちとの交わりは筋書きとしては少々型どおりだったが、これにかかずらっていると、肝心の飛鳥時代の出来事が上滑りになったかもしれない。まだ不明な点が多い古代史を、持統天皇の足跡をたどるという形で描いた物語はおもしろかった。

明日香にも気楽に行けるところで育ち、中学時代に初めて読んだ「壬申の乱」という岩波新書と地図を持って、何度も訪れてきた。万葉ゆかりの土地や、陵の史跡、秋に稲淵の棚田を燃え立たせるヒガンバナ、石舞台など、なつみの自転車とともに走るのも楽しかった。

でもやはり、永井さんは現代小説よりも、時代小説の女たちを書く方が鋭いと感じた。


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