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蛍川



宮本輝

「蛍川」と「泥の河」が収められている。

「泥の河」で1977年(昭和52年)に太宰治賞。「蛍川」で1978年(昭和53年)に芥川賞を受賞した。宮本輝さん30歳でここが作家としての出発点だった。
角川文庫版を読んだが奥付を見ると昭和55年初版、手持ちの物は平成20年、77版になっている。

映画では「優駿」も素晴らしかったが、「泥の河」は重い気分をあと後まで引きずるような秀作だった。

「泥の河」
小説は昭和30年の安治川岸の風景、橋から釣り糸を垂らして釣りをしたり、川底からゴカイを採る人がいる時代。
少し川上にあたる堂島川や土佐堀川も今のように整備されていなくて、流れていく濁り水には様々なものが混じって浮かび、腐った果物の臭いが混じっている、川には小舟が浮かんでいる。行きかう舟が通り過ぎていく。
そんな川岸で小さな食堂を営んでいる信雄の両親は、どこからか現れてもやったまま動かない船を気にしている。
電気や水道なんかどないしてはるんやろなぁ

その舟には、体を売っている母親と姉弟が暮らしていた。
信雄が喜一と知り合い友達になる。

対岸の家々に灯された蝋燭の光が、吹きすさぶ雨の中でちらちら並んでいた。そして、湊橋があるあたりの川面すれすれのところで、人魂のように頼りなげに上下している黄色い灯を見つけた。

こうして何か重く暗い寄る辺のない舟の暮らしが書かれていく。
屋台が並んだ祭りに行くにも小遣いがない、信雄がわけた小遣い銭を破れたポケットに入れて落としてしまう。喜一の子供らしい嘆きや畏れがこの物語の底に流れ続けている。
世間離れのした暮らしに身を置いた少年を、子供だからこそ、信雄は同じ目で喜一を見る。信雄の寂しさも同時に映し出している。
立ち退きを迫られ岸を離れていく舟を追う信雄の声が、いつまでも響いてくる。

喜一は蟹に火をつけて焼いて見せる。そんな遊びが意味するものを喜一は考えているのだろうか。彼の成長が中村文則の書く青年の姿に繋がるような気がした。

「蛍川」
舞台は北陸富山。
父親の重竜が52歳の時生まれた竜夫は中学性になった。
戦後、復興の波に乗って大金を稼ぎ、波に乗って次々に手を出した事業でついに失敗した。一度波に乗ったのはいいが切りまわす器量がなかった。
子のない先妻を追い出し、子供欲しさに千代と一緒になった。と珍しく昔話を聞かせた。千代にも別れた夫との間に男の子がいた。
達夫は父の匂いが嫌いだった。父が脳溢血で倒れた時歯の根も会わないほど震えた。老いて憔悴した父は見たくなかった。

四月になって大雪が降った。蛍が見られる。
建具師の銀蔵爺ちゃんに昔聞いた話を思い出した。
立山を源流にするいたち川をさかのぼっていくと、恐ろしいほどのホタルが塊になって湧いて出るという。
案内をせがんだ。
幼馴染の二人を誘った。関根は進学したかったが父に反対され、英子とは成長するにしたがって距離を置くようになっていた。
英子を誘う口実に母も行くと言ってしまった。

5月になって重竜が死んだ。先妻と千代の兄が来た。
先妻は達夫をしげしげとみて似ていると言って泣いた。
兄は飲食店がうまくいって心斎橋にも店舗を出すといった。大阪に来るように執拗にすすめて帰っていった。

「ことしはまことに優曇華の花よ。出るぞォ。絶対出るぞォ」銀蔵が請けあった。
蛍狩りは千代も弁当を作ってついてきた。
長い道のりを歩き寂しい山の中に入ると日が暮れた。
せせらぎの響きが大きくなるところで梟が鳴いた。足音で虫の声が止み、その静寂の上に蒼い月が輝いた。そして再び虫の声が沸き上がった。
千代は出会うかどうかわからぬ一生一遍の光景に行く末をかけた。
細い道を左手に曲がったところで川面を見下ろした時、そこに無数のホタル火が静かにうねっていた。

蛍の大群は、滝壺の底に寂寞と舞う微生物の屍のように、はかりしれない沈黙と死臭を孕んで光の澱と化し、天空へ天空へと光彩をぼかしながら冷たい火の粉状になって舞い上がっていた。

幻想的な「蛍川」も、やはり静かに人の暗い闇を映し出している。
若い宮本輝という作家が船出した作品は恐ろしいほど気迫がこもって描写も繊細で美しい。泥の流れる川に生きる人も雪の深い冬を耐える人ももの悲しい。抒情的な代表作というのも納得した


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