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詩人・菅原道真―うつしの美学



大岡信

道真と言えばどうして遣唐使廃止の上奏をしたのか、どうして王朝経済を立て直す当然必要な重要政策から降ろされ太宰府のわび住まいで悲惨な死を迎えたのか、ひとまずこの名著から読み始めました。

詩人大岡信さんの著作なので、詩心に込められところを理解するうえで「うつし」という言葉から例をあげて書きこまれています。特に芭蕉の頃の連歌をひいてあるのでこの意味が一層よくわかりました。
次につく一句が、説明的でなく、前の句の心、言葉から連想される心や同じ風景が、詩心のたんなる継承ではなく、5.7.5の語句から受け手の次に付ける句の心に、その句がどんな風に響いているのか、読み手は受け手として、詩心をどんなふうに興味を膨らませているかがよくわかりました。その世界の広さや大きさは、作者の力読み手の力といったもののように思います。
それを大岡さんの言葉に直すと

「写・映」の「うつす」にあっては、うつす行為の前と後で、うつす主体とうつされる対象の間に、質的変化や転換が生じることは予想されないのに対し「移」の「うつす」にあっては、対象の質そのものに生じうべき変化までも暗に予想されているところに、興味深い違いがあるのです。とくに、「移す」に「色や香りを他の物にしみこませる」という意味があることは「写・映」のうつすとの重要な相違点と言わねばなりません。

と的確に文章化されてなるほどと感銘を受けました。

そして一方、服部土芳の実践的詩作法で、

「移る」という主客一致の心的現象の実態は、まさに電光一閃、気合い充実、瞬時の出来事であるのです。

これはどんな言葉や文章を読んでも共通することとして納得できました。書評の書き方や対象になっている書籍についても、共感しているのかどこに感動したかということについてもつながるように思いました。それは個人の特質に由来する部分で、それぞれ違った評や受け止め方があって不思議ではないということを実感しました。

外国生まれの大岡さんの友人との書簡で、「なぞらえる文学」という言葉が出てきましたが、大岡さんは「なぞらえる」という言葉を「うつし」で語る方向を選んでいます。

そして、道真にテーマが移ります。
藤岡作太郎の著作「国文学全史平安朝編」から

道真の詩の特色は、平易にして暢達、忠誠にして純潔、至情を披歴して、淀まず、滞らず、恰も白玉を水晶盤上に転ばす如きにあり。白楽天は平易の文学を喜び(…)而して平安人士が試作の至境と仰ぎしは、かれ楽天にあり。(…)なおその奥旨を会得したるもの、道真の如きはなからん。

道真が太宰府に持って行った書物の中に白楽天の全巻があったということからも納得しました。
これを道真の漢詩は白詩の「うつし」と語られています。

宇多天皇に重用され、寵臣として最高位の位置について、政治改革で手腕を見せた。道真は当時歌会でも認められ宇多天皇の命で、大和言葉で書かれていた万葉集を漢詩に移し替えて見せた、ということがとても面白い。
大岡さんはこれも「うつし」の形だと述べています。
例に挙げられている道真の詩が、漢詩の形で、読者のためには書き下しで説明されていますが、私も、漢詩に使われている漢字というものが、一文字でも、大げさに言えば大きな一つの詩的な宇宙を持っていることを改めて感じました。
道長が漢詩に通じてたくさんの詩や歌を残し、それが美しい詩心を写していることを教えられ、この点は今までの感じていた印象が改まりました。

道長の澄んだ、憂いのにじんだ詩や、晴れて暖かくなった春を愛でて純に喜ぶ人柄からは、感じやすく繊細で、研鑽から得た美しさが感じられました。

大岡さんのこの著作は名著と言われていますが、「うつし」という言葉が、難解と言われる詩の世界は、詩人の言葉や詩心がうまく「うつらなかった」読み手との相性や、人の異なった特質にあるのかとも感じました。

道真の今に伝わる資料が、少なすぎていることなど、生きにくかった時代に揉まれた跡がしのばれます。
今では各国の神社でまつられているのは死後どういう経緯でそうなったのか。陰陽師では怨霊になって襲う設定は何が原因なのか。長く抱えていた疑問を解きたいと思い、この後「消された政治家、菅原道真」も読んでいます。

ただ、今、大きな組織の、文書改ざん問題は、庶民のあずかり知らないところにあり、政治の闇を見るようなニュースは、時を経ても変わらない人の営みの奥深さを感じます。


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