しかし面白い。仕事場のある中二階に上がるエレベーターに向かいながら、最近浮かぶようになった牛乳パックのストローについて考える。ペーパーバッグと牛乳を左右に持てば、ストローが浮かんできては飲みにくいではないか、そのうち紙のストローに変わったが。紙製品の場合は微細な気泡がつくので浮かばないのだろう。それが非常によろしい。
と、このように、様々な物について考察する。靴紐が、左右余り時間を置かないで切れた、左右どのあたりにどんな風に摩擦が起きて切れるのだろう。
続いて、はじめてお母さんに結び方を習って成功した時を思い出す。
また牛乳が瓶から紙パックになったこと、実にあの菱形に開く口は優れものだ、三角の尖った上部の開け方さえマスターすれば。
有名なエスカレーターのくだりは様々に拡散してまた戻ってくる思考の遊びがこの作品の特徴を伝えているが、ビルの清掃員が体を動かさずに手すりを拭くことが出来ると言うことなど納得。自分でも気にいったらしい二度書いてあるし。
最後にエスカレーターに乗る喜びが子供のそれではなく、大人の考察にも耐えるものと考えること。などといっている。
製氷皿から氷をばらばらに取り出す水の張り方にはコツがある。
トイレットぺーパーに絶妙な間隔で入ったミシン目を讃えよう。
薄いアルミ箔のフライパン状の容器で作るポップコーン、硬いコーンが膨張して花のようなポップコーンになる、これは人類の発明の中でもずば抜けている。
眠るときの耳栓のこと。耳に水を入れて洗浄するのには驚いた。
やはり生活様式の違いもあり急激な進歩で、もう少し話の補足がいりそうなところがあるが、身近なもの(例えば、ホチキス)から見つけ出したこだわりを延々と書き連ねることは、新しくも興味深い。
ペンギン・クラシックスの本たちについても、有名な古典を上げてつらつらこまごまと述べている。ユニークで面白い。
黒い表紙のペンギンで、私が気に入っていたのは、扉のページに翻訳者の略歴が、彼がこつこつと英語に置き換えた歴史上の大人物の経歴と同じ小さな活字で印刷されていることだった。そうやって二つが並んでいると、ドーセットやリースの片田舎で翻訳にいそしむ目立たない人生と暗殺と奸智と謀略に満ち満ちた歴史の中の人生とが同じくらい大きなものに見えてくる。
と翻訳者についての生活まで想像する洞察力に大いに共感した。こういう人たちによって私たちの文明は支えられていると結んでいる。私もこの本の訳者、岸本さんに深く感謝している。
最後に行くにしたがって思考は哲学的に深くなっていく、はじまりからの流れ(身の周りのものに対する、使用効果、形状、歴史観察などの微細な部分の発見なり考察)の面白さはこれもいいが、ペンギン・クラシックスの書籍の考察は非常に面白く、ベイカーらしさはこのあたりにもあるように思えた。
岸本さんはこの本を訳すにあたって、同じような興味を持つ気質を披露して、自分を少し「変な人」の範疇にいれているが、この様な好奇心や探究心が文化を推し進めるかも、直球ストライクばかりだと味気ない、変化球の妙味が世界を広げるのではないかと思う。
「変な人」は「変な人」同士の共感は深いのです。これからも頑張って「変ぶり」で選んだ翻訳、紹介、ついでにエッセイも待っています。
時間があって再読すれば、マダマダあるこの変さ加減の面白さは発見できる。何度でも楽しめそう。