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地獄変



芥川龍之介

北村さんの《私》シリーズの流れで読んでみた。「六の宮の姫君」が目当てだったが、「舞踏会」は初めてだったものの、他の「地獄変」「藪の中」は何度か読んでいた作品だったが読み直すたびにしばらく尾を引く。

「地獄変」
高名な絵師良秀が下命を受けて地獄絵の屏風を描くのだが、思う限りの地獄の有様を何度書き込んでも得心出来なかった。眼前で見たいと思い、牛車を燃やして欲しいと言上する。聞き入れた殿様が、目の前で牛車に火をつけると、中にもだえ苦しむ娘が乗っていた。
呆然としたのもつかの間、良秀は筆を出して写しとり、下命の「地獄変」の屏風を完成させた。
下女の視野からの話が生々しい。

「藪の中」
死んでいた男を発見した木こりと、通りかかった旅法師、検非違使、殺された男に同行していた娘の母、の話。
娘はその場から姿を消していたが、母は捜して欲しいと哀願する。
捕まった犯人の証言が違っていて、それぞれの思惑が交差している。

「六の宮の姫君」
父母が相次いで亡くなり、暮らしに困ってきた。売るものもなくなったころ、乳母が男を見つけてきた。姫はその男に馴染んでいたが男は父親について遠い国に行ってしまった。待っても帰らない、また窮乏の生活に戻ってしまった。羅生門の下で姿かたちも衰えているところに、9年経って男が探しに来た。すでに男は妻も娶っていた。姫は死に際に念仏を唱えなさいと言う法師の声も聞こえず、うわごとを言いながら死んだ。男がまた訪ねると空に細く嘆きの声がして消えていった。

「舞踏会」
明子は舞踏会でフランス人の海軍将校と踊った。ベランダで花火を見たとき
―― 明子にはなぜかその花火が、ほとんど悲しい気を起こさせるほどそれほど美しく思われた。
「私は花火のことを考えていたのです。我々の生(ヴィ)のような花火のことを」
しばらくして仏蘭西の海軍将校は、優しく明子の顔を見下ろしながら、教えるような口調でこういった。――

老齢になった明子は鹿鳴館の舞踏会の話をした、海軍将校の名前はジュリアン・ヴィオだといった。それを聞いた青年は「ロティだったのですね、「お菊夫人」をかいたピエール・ロティだったのですね」
「いえあの方の名は、ジュリアン・ヴィオとおっしゃる方です」

あとがきで、老齢になった婦人の、時間の経過を一足飛びに書いたことによって、その時の作品の突き放し方が知れるそうだ。高名な作家になった将校を知らなかったと言うこと、ただロティとの花火の会話だけが夫人の記憶であったということ。
命を注ぎ込んだ自分の作品が後世になってどんな風に読まれるかを書いて、それが作家としての芥川の人生観の一端だとしたら、その部分が少し理解できるようにも思えた。

しかし芥川龍之介という、まだそう遠くない過去の作家が、生きることに様々に迷いながら書いた名作を、肉声のように読むとその作風がなにか恐ろしい気がする。過去の名作の余韻の中に引き込まれそうで、周りに積んでいる、様々のエンタメに戻らなくては、と何か夢から醒める思いがすることがある


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