もういいかなと思ったのは、茶道を習い初めて難しい作法や手順に悩んだからだったことなどを、思い出した。
作者はノートに書いたりしたが役に立たなかったそうで、その手もあったのかと微笑ましい。
そしてめげずに同じことを繰り返しているうちに茶道の決まり事が身につき、その意味に気が付く。
そのうちはっと気がつくことがたびたびあって「目から鱗が落ちた」と何度も書かれている。
ああそうなのだ、心の眼は見えない鱗が覆っている。この本を読んで、ある時一瞬にして周囲が違って見えた時があるのを思い出した。
あのとき分厚い鱗が剥がれて、その衝撃にうろたえたのだろう。そうだったのか。とまた鱗が落ちた。
生活の中には古来から受け継がれてきた、美しい形が残っている。ただ日常の礼儀作法であっても、先人が生活の中で磨きぬいてきた形には重々しい中に味わいのある軽みがある。
軽みに達するまでには、この作者のように形式や流儀の奥に入りこんで学ばなくてはならないけれど。
能狂言文楽歌舞伎、華道茶道香道、道と着く形は美しい。剣道、書道、道はたくさんあるが、素晴らしい遺産だけでなく、形を会得した人というだけでもなく、何かに一途な人を見るとハハッと頭を低くしてしまう。
整って乱れのないものは美しいと思う。
お茶の道は齧りかけだったが、難しい段取りや、作法の順序は次に続く作法に無理なくつながっている。切り柄杓,置き柄杓の違いも面倒だったけれど、続けていればいつかは少しは流れるようになっただろう。後年誘われて行くお茶会でやっと気が付いた。
この本の味わいは、茶道にふれた中から、生活の豊かさがにじみ出ているところがほのぼのと暖かい。
雑念に振り回されている普段の生活の中でちょっとつらいときなどに読むと、心に染み入るような言葉や、静かなお茶室の中での発見(気づき)が織り込まれた、豊かな気持ちが伝わってくる。
形の中にどんなものを入れるか、どんな道具をそろえ、床に活ける季節の野の花、しつらえのいろいろなど、外から見た決まりごとも知ることができた。
心が豊かになるいい本に出会えた。
余談です。
今日、送り物のためにお茶屋さんに寄った。宇治が近いのでいいお茶屋さんがある。地元のお茶を頼んでふと「かぶせ茶」があったので何をかぶせるのか聞いてみた。
密かに急須に何かをかぶせるのかと今まで思っていた。
想像するとそれも変なやりかたなので違うだろうなとは思い避けていたのに、つい癖が出てこの機会にと可愛い店員さんに教えてもらった。
摘む前に一時紗布などで木を覆っておくのだそうだ。そういえば宇治の茶畑で柱を組んで上にスダレなどを載せているのを見たことがある。黒いビニールのようなものがかかっていることもある。
日光が少ないので木が頑張って育とうとするので、渋みなどが減り甘みが増すのだそうだ。
そういって、一服ふるまってくれた。難しい味などわからないけれど、ちょっと濃い目のみどりと柔らかい甘みが感じられておいしかった。
祖父母の家では自家製のお茶を飲んでいた。みんなで若葉を摘んで蒸して手で転がすように押しつぶしていくとお茶になった。道に沿って茶の木が植えてあり、今頃になるとが可愛い白い花が咲いていた。