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誰かが足りない



宮下奈都

分かりやすい、優しい物語だった。うっすらとした寂しさが絵になったような日々の中に、訪れた「ハライ」というレストランでの幸せな時間が、しみじみとしみる。

読む本の中にはむずかしい漢字ばかりの時がある。鋭く心の中をかき回してあとはわずかに理解の外にあるような疑問符を残す。考え続けて著者の深遠な思いに気が付いたり、迷路に迷い込んだりする。
そんな何かを求める読書もたまにはいい。生きている実感がある。それでもこうした暖かい日々を優しい言葉でつづってくれる小説に、癒されたいときもある。

文字好きが選ぶ文章は、生きていく指針だったり喜びだったりするが、生活の中で、そんな文字好きだけでなく、いろいろな手段で喜びを感じて生きている人に感動する。アスリートは身体を使って、書家は墨と筆で、料理人は食材で人を慰め喜ばす。幸せの輪に包み込まれるなら何だっていい。読書家の世界にだけにとどまらない、自分に合った生き方がある。

「ハライ」というレストランの評判がいい。行ってみたいけれどまだ行ってない人たちが、幸せな時間を過す事になる。6組の人たちが「ハライ」に行くことになった出来事が、そのちょっとした心の旅が暖かく書かれている。

何げない生活が描かれてはいるが、中でも
「予約 4」
ビデオ越しでないと生活できなくなった僕。何をするにも右手に重いビデオカメラを持っている。
三年前に母が何気ない微笑みを浮かべてもうすぐ死ぬのだといった。そして死んでしまった。その笑顔を憎み人が信じられなくなって部屋に閉じこもった、結婚する姉や妹のことを思うとそれではいけないと気が付いてはいた。姉の婚約式の時ビデオ係をかって出てみた。それは勇気がいったが何とか写すことができた。それからはビデオカメラ越しなら何か変化が起きるのがみつかるのではないかと探し続けている。
妹の友人が転がり込んできた。学校にも行かず昼間もひっそりと過ごしているだけ。静かな彼女に僕はいらいらしたが、次第に彼女の存在にもなれていき、彼女がこもっているわけを知った。彼女は言う「ビデオは過去じゃないですか」
妹は僕にも友人にも何も聞かなかった、彼女と二人でおにぎりを食べた。窓を開けて季節の風を感じた。
「ねぇ ハライに三人で行かない?」と妹が言った。

かいつまんだけれどこんな話が6編、レストランに行くだけのことに勇気がいったり、日常のこだわりを解決したり、孤独を乗り越えたり、ささやかな気持ちの切り替えで、足りない誰かや何かを見つけて席を埋めるいい話。

この本は宮下奈都さんファンから勧められたが、年甲斐もなく切った張ったや密室連続殺人や、争いの中を歩きたがる変な読書人を少しは日常に戻そうと思ってくれたのかもしれない。「ハライ」の代わりにどこかに誘ってみよう。


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