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身毒丸



折口信夫

先のレビューを間違って消してしまいました 涙。時間かかかりましたが何とかワードの中の原稿を見つけましたのでまたあげました。投票をしてくださっていた方々に心からお詫び申し上げます。

附言より
説教節や伝説を小説形式にしたことに言及されています。
「この話は、高安長者伝説から、宗教倫理の方便風な分子をとり去って、最原始的な物語にかへして書いたものなのです」

この附言は短いものですが解説も親切で、伝説からひも解く「しんとくまる」の話は、時間とともに様々に変化して来たことが、学問的な経路を見ると興味深く思われます。

謡曲の弱法師(よろぼし)が説教節に採用され、また一方では浄瑠璃になり、現代でも演じられる芝居に脚色されたというように、形を変えて残っていることが、どの時代でも庶民に受けいれられてきたのを感じます。

また、「しんとくまる」という名前も、漢字表記では、伝説だったものが時代が下って新しい形式に組み込まれた後、それぞれに文字が変化していっているということが、とにかく長い歴史を経た月日が感じられます。

俊徳丸という文字は、のちの当て字としています。

私が通勤通学に乗っていて、今も利用する近鉄には「俊徳道」という駅があります。
ここから、伝説が残る「高安駅」まではあまり遠くありません。身毒丸の一行が祭礼の折などに立ち寄った街道のひとつだったのかもしれません。

話がそれましたが、このように、伝説や弱法師という流れから見れば、身毒丸という文字表記はストーリーの意味に近く、わかりやすいと思えました。

この附言にあるように、身毒丸の小説は、高安長者伝説とは少し異なった部分あるように思えました。

説経節にうたわれる伝説では長者の子供が悲惨な業病に憑りつかれ、四天王寺で浮浪生活を送り、ついに観音菩薩に救われるという話で、伝わる過程で脚色され、時には信仰による救いに昇華することによって庶民に受け入れられてきたように思えます。

継子苛めや、ライ病に冒されて捨てられる境遇が、説教節では、避けがたい生来の受難が物語に力を与え、身を落とす前の四天王寺奉納で舞う華麗な姿から、次第に零落していく悪運もまた、底辺にあって運命に左右され続けた庶民には受け入れやすい物語であったろうと思えます。
身毒丸という文字にしたことで一種の象徴になったこの小説は、伝説とは別の舞台で演じられる物語のようです。

こちらは父親に捨てられ、親から受け継いだ病を持ちながら、田楽師の一行に交じって旅をするという話で、身毒丸は可愛い童から美しい若者に成長していく。そこに一座の親方である師匠との妖しい関係を示唆しながら、自然な成長で、幼子からいつか大人に近づいていく。
当時の祭りに奉納される田楽舞の風景や、舞楽を演じる流浪の芸人であって、下層にいながらもより下層の集団の中で生きていく、そんな人々の中で幼児のころから育っていく過程や、狭い旅の途中の風景が何か特殊な日常に隔離されたような世界に紛れ込んでいく。夢か現かという物語を作り出していく。
父親はこの世界から逃れてしまい、彼は孤児で育っても自然な性徴が見せるのだろう、不安定 な時期の女性に対する憧れは感覚的で幻想的な風景を見せる。物語は彼の一座だ折々に立ち寄る道筋の出来事を語りつつ終わっている。

外国にも社会集団から滑り落ちたロマなどと呼ばれる人々がいるという。人類共通の生活意識からまるで隔絶されたかのような環境にある人々のような、何か不思議な感覚を持っている身毒丸の世界。あるいは人になってから長い歴史を重ねてもまだ深層の心理の底には、自然の中に生きた生活の痕跡や回帰本能があるのかもしれないという宇宙感のようなものを書き出そうとしたのだろうか。

説教節や歌舞伎の形からは少し距離があるように思える「しんとくまる」という話を礎にした、とても興味深い人の悲しみが伴う話だった。

私の育った地に近いところに残る伝説がもとになっている高安には「鏡塚」という史跡も残っているという。

「死者の書」の一種の宇宙観を伴った物語の幽玄ともいえる雰囲気にふれて、感銘を受けたが、説教節という今に残っている話の歴史を、これからももう少し拾い出して読んでみたいと思う。


お気に入り度:★★★★☆
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